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決勝男だ!李忠成“MVP弾”死闘PK制し浦和が13年ぶり歓喜

[ 2016年10月16日 05:30 ]

<ルヴァン杯決勝>MVPを獲得し喜ぶ浦和・李忠成
Photo By スポニチ

 YBCルヴァン杯決勝が行われ、浦和が当時ナビスコ杯だった03年以来、13年ぶり2度目の優勝を果たした。G大阪と1―1のままPK戦にもつれ、同5―4で勝利を挙げた。後半31分に途中出場の元日本代表FW李忠成(30)が起死回生の同点ゴール。11年アジア杯決勝でも決勝弾を決めたストライカーが、再び大舞台で活躍して大会MVPを獲得。広島時代からの恩師であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督(58)に来日11年目での初タイトルをプレゼントした。

 死闘に終止符が打たれた瞬間、李はベンチに猛ダッシュしていた。遠藤が決勝のPKを突き刺すと、歓喜の輪の中心にいたペトロヴィッチ監督と熱い抱擁を交わす。広島時代から指導を受ける指揮官に初の主要タイトルを贈った。「今までの恩返しになった。ミシャ(ペトロヴィッチ)はシルバーコレクターと言われていたけど、もうそれはない。ミシャに“おめでとう”と言いたい」。13年ぶり2度目の優勝に導いた男は、満面の笑みを見せた。

 あの時のように、集中を極限にまで研ぎ澄ませた。11年1月、日本代表とオーストラリアのアジア杯決勝。途中出場で延長後半のV弾を決めたジョーカーが、この日も後半31分にピッチに送り出された。「自分がヒーローになる」。そう心に決めた李は30秒後、柏木の右FKを頭で合わせ同点弾を叩き込んだ。これがファーストタッチで「攻めの気持ちがゴールを呼んだ」。4人目を蹴ったPK戦も右隅に決め、大会MVPを獲得。「アジア杯を思い出す。あの経験が自分を信じる確信になった」。30歳。円熟を迎えたストライカーが、決勝男として再び輝きを放った。

 固い約束がある。14年1月、イングランドの名門サウサンプトンで不遇な時代を過ごす李に、浦和からオファーが届いた。ペトロヴィッチ監督とは電話で直接、話した。「うちで一緒にやらないか?」。日本代表からも遠ざかり、輝きを失っていた男にとって、その一言がうれしかった。「ミシャを男にします」。そう返答して腹をくくり、Jリーグに戻ってきた。それから3年。初タイトルを贈り、孝行息子にやっとなれた。「ミシャのおかげでプレーの幅が広がった。日本代表にも入れたし、プレミアリーグにも行けた。いろんな世界を見せてくれた素晴らしい監督です」。万感の表情で恩師に感謝した。

 浦和の国内主要タイトル獲得は06年のJ1優勝以来。今季はリーグ戦、天皇杯と合わせて3冠の可能性を残す。李は「タイトルラッシュの弾みになった」と前を見る。07年ACL制覇以来クラブにとって9年ぶりのタイトルは、まだ序章に過ぎない。

 ≪PK決着11年ぶり≫浦和が03年以来、13年ぶり2度目のルヴァン杯優勝。延長PK戦での決着は05年決勝(千葉―G大阪)以来、11年ぶり6度目。浦和のカップ戦でのPK戦は通算8度目だったが、優勝の懸かったPK戦は3度目(過去は04年ナビスコ杯とCS)で初めて勝利した。

 ◆浦和レッドダイヤモンズ さいたま市を本拠地とする国内屈指の人気クラブ。50年創設。前身は三菱重工業サッカー部。91年にJリーグに加盟した「オリジナル10」の一つで、96年に現行名となる。00年にJ2降格も1年で復帰。03年ナビスコ杯優勝が初タイトルで、06年リーグ初優勝、07年には日本勢としてACL初制覇を成し遂げた。15年度の営業収入60億8800万円、リーグ戦の平均入場者数3万8745人はJクラブ最多。クラブカラーは赤。埼玉スタジアム内に本社がある。淵田敬三社長。

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