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仏記者が迫るハリル新監督 戦火に比べれば…文句や怠慢許さない

[ 2015年3月14日 10:05 ]

選手にも自らにも高い要求をするハリルホジッチ新監督

 バイド(バヒドのフランス語読みでハリルホジッチ氏のフランスでの愛称)から多くのものを奪ったボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争。彼が選手に苦行を課し、相手にも自分にも高い要求をつきつけるのは「人を獣に変えてしまう」と指摘したおぞましい戦争体験による。戦火に比べれば、サッカーをすることはファンタスティック以外の何ものでもない。プレーの喜びを味わい、多額のお金を稼いでいるのに文句を垂れるなどという権利を、バイドは決して選手に与えないのである。

 「選手たちはやたら高い給料をもらっている。それなのにユニホームを汗で濡らす努力もしないなら、さっさと着替えて職業を替えればいい」

 爪の先まで厳しい完璧主義者。そのあり方はフランスで時にカリカチュア(風刺画)の対象になり、風刺人形劇で有名な人気番組「ギニョル・ド・ランフォ」にも再三登場した。人気歌手や有名スポーツ選手、政治家と並び、専用マリオネットがあった。フランスでは有名人の証拠でもある。

 仕立てのいいスーツに身を包んだバイドが醸し出すカリスマ性を前にすると、選手は自然と彼をリスペクトし、自分の限界を超える努力をする方向へ突き動かされる。彼が他人に要求することは自身にも要求していることだからだ。例えば彼は55歳まで一貫してランニングする選手集団の先頭に立っていた。文字通り選手を引っ張っていた。

 現役時代は得点王を2度獲得したナントで82~83年シーズンにフランスリーグ優勝。28歳まで国外移籍が認められていなかった旧ユーゴスラビアでもベレジュ・モスタルで207試合103得点と活躍した。ユーゴスラビア代表では国際Aマッチで出場15試合に限られたが、それでも8得点。時代が30年違えば同じくボスニアにルーツを持つイブラヒモビッチ並みのスターになっていただろう。しかし、監督としてはボスニアからフランスに移住した93年に2部ボーベを率いたものの、16位に終わって1年で退任した。そこから3年、失業にさいなまれた時代をバイドは忘れていない。

 「自分が惨めで情けなかった。家族を満足に養うこともできなくて…」

 だからこそ彼の中には“もっと上へ”“もっと遠くへ”と自分を常に追い詰めようとする絶え間ない苦もんの精神がある。(フランソワ・ヴェルドネ/フランスフットボール誌、翻訳=結城麻里通信員)

 ◆フランソワ・ヴェルドネ 1972年11月17日、フランス生まれの42歳。ブザンソン大、パリのジャーナリズム学院を卒業後、96年フランスフットボール誌入社。02年からフランス代表担当。移籍部門責任者。ハリルホジッチ氏とは15年来の親交を持つ。

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2015年3月14日のニュース