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圧巻ゴールで一時代つくった“怪物”ロナウド 最後は切り味なく…

[ 2011年2月15日 10:29 ]

2002年のサッカーW杯日韓大会を制し、満面の笑みで優勝トロフィーを掲げるブラジルのロナウド

 爆発的なスピードのドリブル突破と、ブラジル選手特有の技巧を兼ね備えた最強のゴールハンターとして一時代を築いた。だが「怪物」の異名は、膝の負傷に見舞われる前のロナウドにこそふさわしい称号だった。

 10代で欧州に渡り、PSVアイントホーフェン(オランダ)とバルセロナ(スペイン)時代にマークしたゴールの数々はまさに圧巻だった。インテル・ミラノ(イタリア)所属の1999年11月に右膝靱帯を損傷し、翌年4月の復帰戦では同じ部位を痛める非運。約2年もの間ピッチを離れた後は、天性の得点感覚を生かした「技巧派」に変身した印象が強い。

 2002年には約53億円(当時)の移籍金でレアル・マドリード(スペイン)に移籍。欧州サッカーに巨額マネーが流れ込んだ当時、ビッグクラブが札束を積んで欲しがる「商品」でもあった。

 W杯では天国と地獄を味わった。98年フランス大会決勝は試合前の原因不明の体調不良で精彩を欠き苦杯。雪辱を期した日韓共催の02年大会は8ゴールで得点王に輝くと同時に、ブラジルを史上最多5度目の優勝に導いた。奇妙な髪形と屈託のない笑顔で日本のファンにも強い印象を刻んだ。

 06年ドイツ大会では歴代最多となるW杯通算15ゴールを達成した。しかし、準々決勝敗退で「戦犯」としてつるし上げられた。

 08年2月に今度は左膝を負傷して、再び長期離脱。09年3月に母国のコリンチャンスで復帰を果たしたが、コンディションは整わず全盛期の切れ味や力強さは望むべくもなかった。

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