さらば船橋オート…65年の歴史に幕 有終V永井男泣き「幸せです」

[ 2016年3月22日 05:30 ]

ウイニングランで満員のスタンドに手を振る永井

 船橋魂は永遠だ。今月末で廃止となる船橋オートレース場で21日、特別G1「プレミアムカップ」優勝戦が行われ、永井大介(39=船橋)が歴代最多となる6度目の優勝を飾った。2着青山、3着中村で地元勢ワンツースリー。ラスト開催での感動的Vに永井は男泣き。永井コールに包まれながら船橋オートレース場は、50年10月の開場以来、約65年の歴史に幕を下ろした。また、船橋育ちの現役オートレーサーで船橋市議会議員の梅内幹雄(50=船橋)が本紙に熱い思いを語った。

 1万2739人の大観衆が息を殺して船橋ラストバトルを見守った。3周1コーナーで先頭に立った永井。強烈に追い上げる青山。やはり最後は“最強船橋”2人のデッドヒートだ。わずかにしのいだ永井。歓喜のVゴール。ファンに向けて3度、右手を突き上げ、ヘルメットの中でこぼれる涙をこらえるように天を見上げた。

 「きょう行かないで、いつ行くんだと思っていた。道中は青山に入られて危なかったけど、ファンの声援で勝てました!!」。笑顔でありながら大粒の涙が頬をつたう。のしかかるプレッシャーの中、大仕事をやり遂げた男はいい表情をしていた。

 約65年の歴史を誇った船橋オート。廃止論が出た後、選手会支部長の永井は先頭に立って署名活動を行った。だが、流れを止めることはできなかった。「あと10年は“最強船橋”が続くと思っていたのに…。ファンも食堂の方も検査員の方も…みんな家族同然だった。それがもう会えない。家に帰れないような切なさがある」。周囲のスタッフが涙を拭った。「みんなと別れたくない。まだここで走り続けたい」。永井は正直な思いを吐露した。

 スタンドに向けて語りかけた。「こんなに大勢のファンの前で優勝できて僕は幸せ者。ファンがいて、自分がある。落車しても罵声どころか励ましてくれた。船橋のファンは日本一」。その時、“永井コール”が湧き起こった。「船橋は永遠」「ずっと忘れない」。スタンドでボードが揺れる。今まで船橋で最も心に焼き付いたレースを聞かれた永井。「皮肉だけど、きょうが一番思い出に残った」。そう言うと、また目が真っ赤になった。

 表彰式後の閉場セレモニー。永井はあらためてファンに語りかけた。「きょうという日を迎えてしまい、申し訳ありませんでした」。だが、スタンドからは温かい拍手が起こった。ぐっと涙をこらえる永井。こう続けた。「ずっとここにいたい。もう涙は枯れてしまった。言いたいことはたくさんあるけど、19年間、船橋が育ててくれたから今の自分があると思う。最後に優勝できて幸せです!!」。

 プロ野球が2リーグに分裂し、池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」と発言した1950年。オートレースは船橋競馬場の内馬場で産声を上げた。高度成長を見守りながらファンをのみ込み続けたスタンドは紛れもなく時代の証人だった。かつて、船橋にオートレースがあった。飯塚が、島田が、片平が、そして永井が…走り続けた。船橋オートは消えるが船橋オートを愛し続けたことをファンは忘れない。

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