蜷川幸雄さん死去 最期まで復帰に執念「きょうは稽古場に行くぞ!」

[ 2016年5月13日 05:30 ]

死去した演出家の蜷川幸雄さん

 「世界のニナガワ」として国内外で知られた演出家で文化勲章受章者の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。80歳。埼玉県出身。シェークスピアなど西洋劇に日本の演劇様式を取り入れ、現代演劇だけでなく、歌舞伎、オペラ、ミュージカルなどジャンルを超えて活躍した。妥協と容赦のない“稽古場の鬼”としても知られ、怒って俳優に灰皿を投げるエピソードは代名詞になった。

 蜷川さんは昨年12月中旬に肺炎で入院。現場復帰に執念を燃やしていたが、この日午後、眠るように息を引き取った。

 入院後、何度か重篤な状態に陥っていた。今年に入って誤嚥(ごえん)を繰り返し体力がなくなっていったが、3月に入ると回復。蜷川さん率いる劇団の舞台「リチャード二世」が第3回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞を受賞し、3月25日に行われた授賞式への出席を望んだがドクターストップがかかった。病院の会議室に劇団員を招いて開いた祝賀会では、平幹二朗(82)のモノマネをするなど元気だった。

 現場復帰するため、車椅子で1日3時間のリハビリをスタート。4月23日にはシェークスピア作品「尺には尺を」(今月25日初日)の出演者を病院に集め「リハビリを頑張るから待っていてくれ」と激励。劇団員との接触はこれが最後だった。

 関係者によると、病院でも「きょうは稽古場に行くぞ!」と大声で叫ぶなど、最後まで復帰に執念を見せた。病室をのぞく看護師を叱りつけるなど、元気な日もあったという。

 これまでにも心筋梗塞や腹部動脈瘤(りゅう)、狭心症などの大病を患ってきた。14年11月には公演先の香港で下血して緊急入院。以降は酸素吸入用チューブを鼻につけ、車椅子で演出活動を続けていた。今年2月から自身の半生をモチーフにした舞台「蜷の綿」を演出予定だったが、延期されていた。同14日の舞台「元禄港歌」の千秋楽にも姿を見せなかったため、関係者の間では心配されていた。

 激情家で妥協と容赦のない演出家として知られ、気を抜いた俳優には灰皿や椅子を投げつけた。一方で人情にあつく、多くの俳優やスタッフから慕われた。86年には北島三郎(79)らを暴力団との交際スキャンダルで出場辞退に追い込んだNHK紅白歌合戦に激怒。「たかが芸能番組で道徳を振りかざしている」と異議を唱え、自ら特別審査員を辞退したこともあった。

 高校卒業後、画家を目指して東京芸術大学美術学部を受験したが失敗。進路に迷っていた時に「劇団青俳」の公演を見て衝撃を受け入団。その後、演出の方が向いていると悟り、演出家デビューした。国内外の現代劇や古典のほか、ギリシャ悲劇を斬新な解釈と大胆な手法で演出。人気アイドルを起用するなど、多彩なキャスティングでも話題を呼んだ。

 ◆蜷川 幸雄(にながわ・ゆきお)1935年(昭10)10月15日、埼玉県川口市出身。高校卒業後の1955年に劇団青俳に入団、68年に劇団現代人劇場を創立。69年「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。74年に「ロミオとジュリエット」で商業演劇に進出した。代表作は「身毒丸」「海辺のカフカ」など多数。01年に紫綬褒章、04年秋に文化功労者、10年秋に文化勲章を受章。妻の宏子さんは元女優の真山知子。長女は写真家の蜷川実花さん。

続きを表示

この記事のフォト

2016年5月13日のニュース