NPBの友寄審判長が振り返るコロナ禍の1年 東京五輪への審判員派遣も

[ 2020年12月15日 15:23 ]

コロナ禍の1年を振り返ったNPBの友寄審判長(撮影・柳内 遼平)
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 2020年の世相を漢字1字で表す「今年の漢字」が14日、「密」に決まった。今年のプロ野球はコロナ禍で開幕が延期となるも、12球団が120試合を開催した。前例の無いシーズンは選手だけでなく、同じグラウンドに立つ、審判員も同様。歓声がなくなったスタジアムに響いたのはバットの乾いた音、ミットの捕球音、そして審判員の「ストライク」の声。NPB審判部の1年を友寄正人審判長へ取材した。

 友寄審判長の顔はどこか充実感に満ちていた。理由を聞くと、「審判員が1人1人使命感と責任感を持った行動を1年間続けてくれた。称賛に値すると思う」と語った。審判員はリーグの枠を越えて試合を担当。北海道から九州まで出張を行うため、感染が危惧されたが、広範囲を移動する1軍主戦の審判員から感染者は0だった。(全審判員60人中1人がPCR検査で陽性)。感染予防を全うした仲間たちが何より誇らしかったのだ。

 プロ野球は6月19日に無観客で開幕。審判員は3月下旬から開幕まで自宅待機が続いた。友寄審判長は「感染症でこういう状況は初めてで、予測ができない1年だった。現場も大変だったと思う」と振り返る。95年は阪神・淡路大震災で関西在住の審判員は被災も、約1週間後に春季キャンプに出発。11年の東日本大震災は節電のために時間制限(3時間30分)を導入して試合を行ったが、今年は1年を通して影響が出た。

 試合では特別製のマスクを着用して飛沫を防ぎ、通常は試合後に審判室で行われるミーティングも極力オンラインで行った。審判員の少ない楽しみの1つである遠征先の食事もクルーで外食は行わず、コンビニ弁当で3食をすませる日もあった。

 忍耐の1年だったが、例年と変わらぬパフォーマンスを発揮したという。特筆すべきは若手審判員の奮闘だ。12日に発表された優れた判定を表彰する「ファインジャッジ賞」の発表では4人全員が30歳代で受賞。32歳で10年目の若手・梅木謙一、須山祐多、岩下健吾審判員の3人が同時受賞した。若い力の台頭を「1軍出場試合が少ない中でも素晴らしい仕事をしてくれた。他の若手審判への刺激にもなる」と目尻を下げた。

 感染拡大に歯止めがかからない状況だが、夜明けを信じる。来年に予定される東京オリンピックの野球競技について「NPBから審判員派遣の可能性もあるだろう」と表情を緩める。出場となれば1審判としてこれ以上ない栄誉だ。2021年はシーズンとオリンピックの両方で審判員の活躍が期待される。

 ◆友寄 正人(ともよせ・まさと)1958年1月26日生まれ、沖縄県出身の62歳。小禄高、沖縄国際大を経て、78年3月に入局。80年7月31日、甲子園の阪神―中日15回戦に左翼線審として初出場。通算3025試合出場。日本シリーズに13回、オールスターに6回出場。現役時代の袖番号は22。

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