【藤川球児物語(32)】「終わりやんね…」 巨人との直接対決で首位陥落

[ 2020年12月15日 10:00 ]

08年10月10日、横浜戦で優勝を逃し、悲痛な表情の岡田監督(左)、藤川(22)ら阪神ベンチ

 修羅場が続いた。優勝を誓った08年のシーズン。チームは開幕ダッシュに成功し、藤川球児も順調にセーブを積み上げ、勝利に貢献した。セ・リーグ順位表のトップには常に阪神がいた。

 7月16日のヤクルト戦(甲子園)では初のお立ち台で「日本一に向けて精いっぱい頑張って、それを成果として出したい」と宣言。同22日の巨人戦(甲子園)では最後の打者・坂本勇人から空振り三振を奪い、M46を点灯させた。7月でのマジック点灯、星野仙一時代の03年に続くリーグ2番目のペースだった。

 だが、ライバルたちは諦めてはいなかった。「阪神は強い。岡田さんはやるなあと思っていた」と言いながら、戦いのムチを緩めることがなかったのが巨人監督・原辰徳だった。7月8日時点で13ゲーム差をつけられていたが、7月終了時に9・5差。8月終了時には6差とジワジワと迫っていた。

 8月の北京五輪には藤川、矢野輝弘、新井貴浩の3選手が選ばれ、チームを離れた。「五輪も最初から分かっていたこと。いるメンバーで戦うだけ」と監督・岡田彰布は8月を9勝11敗で乗り切ったが、巨人は各球団の主力が抜けた五輪期間に追うペースを加速させた。マジックも点灯と消滅を繰り返した。

 藤川も8月28日の中日戦(甲子園)から戦列復帰。「みんなでつかんだ首位を守る」と悲壮な決意で投げ続けた。思いが出たのは9月22日の横浜戦(甲子園)だった。1点差で迎えた8回から登板。ブルペンの電話で「行けます」と岡田に直訴しての登板だった。「面白い。あと十何試合にシーズンが凝縮されるんだから面白くて仕方ない」と言い切った。

 巨人も9月12連勝で一歩も引かない。そして迎えた10月8日、東京ドームでの直接対決。岡田はメンバー交換のとき「ようここまで来たな」と原と握手。死力を尽くした激突は追う巨人が制し、阪神は141試合目で首位から陥落。同10日にV逸が決まった。「終わりやんね…」。藤川はそれしか言えなかった。=敬称略=

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