ケムール人の警告~「コロナの時代」の課題

[ 2020年5月8日 07:00 ]

「ウルトラQ」で「2020年の挑戦」が放送された1966年5月8日のスポニチ本紙(大阪本社発行版)テレビ欄(部分)
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 【内田雅也の広角追球】テレビのブラウン管にケムール人が映し出されたのは54年前、1966(昭和41)年の5月8日だった。この年1月2日に放映が始まった空想特撮番組『ウルトラQ』の第19話。タイトルは「2020年の挑戦」だった。

 水泳選手やスポーツカーを乗り回す若者らが姿を消す怪事件が相次いで起きる。やがて、それは2020年のケムール星にすむケムール人の仕業だと分かる。

 ケムール星では臓器移植や人工血液が普及し、寿命が500歳に達した。だが、若い肉体が不足していた。時空を超え、地球人をさらいに来ていたのだ。

 ケムール人は不気味な体をしていた。細い体、いびつな頭部は亀裂が走り、前方左右と後頭部に計3つの目がある。時折「フォフォフォフォフォー」と笑う。首都高速を大股で駆け抜ける。

 まさに、その2020年を生きるいま、内容は何とも教訓的である。文字通り、2020年“からの”挑戦だった。

 <老化を怖れるというのは間違いなくこれが半世紀後の現在の日本の課題である>と文芸評論家・小野俊太郎の『ウルトラQの精神史』(彩流社)にある。ケムール人は高齢化社会を予言し、警告していたわけだ。現に人口に占める65歳以上の割合を示した高齢化率で、日本は27・3%(2016年)と世界一である。

 『ウルトラQ』の撮影が始まったのは前回東京五輪が開かれ、国内が沸き立っていた1964(昭和39)年。経済復興を遂げた戦後社会への問題提起でもあった。南極の氷が溶け出したため、冷凍怪獣ペギラは北極へ引っ越しするため、東京に立ち寄った。マンモスフラワーは人工物で埋め尽くされた都会に出現する。大ダコ・スダールが船を襲ったのは、海を荒らす人々への「南海の怒り」だった。

 先の書は2016年発行で<二〇二〇年には、二度目の東京オリンピックがおこなわれ、そこに向けて解決すべき課題が山積みとなっている>と記していた。

 そしていま、新型コロナウイルス感染症のまん延で東京五輪は延期となり、自粛の日々が続く。

 今春4月に緊急出版された『コロナの時代の僕ら』はイタリアの物理学者で小説家、パオロ・ジョルダーノのエッセー集で、今の時代を生きる警句に満ちている。

 たとえば<環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている>と、森林破壊で細菌が<引っ越し>を余儀なくされた現状を憂う。<僕らの軽率な消費行動>を<忘れたくない>と記す。

 彼はいま<忘れたくない物事のリスト>をつくっているそうだ。コロナ後の世界に向け、何を守り、何を捨て、どう生きていくべきか。

 野球界も動きが止まってしまった。白球飛び交う当たり前だった日常がどれほど恋しいことか。5月のすがすがしい風と青空の下、誰もいないグラウンドが目に痛い。

 ケムール人は結局、神田博士が完成させたXチャンネル光波を東京タワーから放射して倒す。ウルトラマンはいない。<怪獣と向き合うのは、仮面をつけたり忍者姿の不死身の英雄ではなくて、あくまでも生身の人間たちである>。

 そう、問題は自分たちで解決しなければいけない。コロナの時代を生きるいま、肝に銘じておきたい。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 『ウルトラQ』放送当時は3歳で、記憶の大部分はその後、小学生当時に見た再放送だろう。魅力に取りつかれ、大学生時代に全編のビデオテープ(ベータマックスだった)をそろえた。1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。主に阪神を追うコラム『内田雅也の追球』は14年目に入っている。

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