【内田雅也の追球】準備が生む僥倖――開幕延期で練習の日々のプロ野球

[ 2020年3月19日 08:00 ]

甲子園球場でサーキットトレに励む阪神ナイン
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 「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治(巨人)が「球が止まって見える」という境地に至ったのは1950(昭和25)年9月初めだったそうだ。当時25歳。シーズンでは打撃不振に陥っていた。

 <多摩川の練習場で、一人で打ち込みをやっていて、打撃のコツをつかんだ>と『私の履歴書――プロ野球伝説の名将』(日経ビジネス人文庫)で明かしている。

 <投手が球を投げる、構えて足を踏み出す、目の前で球がピタリと止まる、止まるところを打つ、というリズムが自然に生まれてきた>。

 主に1970―80年代に活躍し米野球殿堂入りした大リーグ強打の捕手、カールトン・フィスクはレッドソックスからホワイトソックスに移籍した1981年の春季キャンプで長距離打者に生まれ変わった。それも1日で変わった。

 チームがオープン戦でフロリダ州の敵地フォートマイヤースに出た日、キャンプ本拠地サラソタで居残り練習を行った。帰ってきた監督トニー・ラルーサが言った。

 「花売り娘が貴婦人に化けたイライザ・ドゥーリトルを思い出した」=ジョージ・F・ウィル『野球術』(文春文庫)=。映画にもなったミュージカル『マイ・フェア・レディ』の主人公をたとえに出して驚いたわけだ。

 川上もフィスクも開眼は突然である。そして試合ではなく練習での僥倖(ぎょうこう)だった。

 なぜ、こんなことを書くのか。ウイルス禍で開幕が延期となったプロ野球はいま、練習の日々だ。たとえば、阪神はもともと16―19日の4日間はオープン戦がなかった。16日は投手だけ、17―19日は甲子園球場で全体練習である。

 18日の甲子園には春霞のかかっていた。球場正面玄関の前で、恐らく卒業式を終えた後だろう。袴姿の女学生と両親が記念写真を撮っていた。春らしい日だった。

 午前10時から昼食をはさみ、約4時間、汗を流した。開幕がいつか分からぬ中ぶらりんで、士気を保つのは難しい。だが、単調と思える練習にこそ開眼や変身の可能性が潜んでいる。

 ただ、その開眼というのは思わぬ幸運のようだが、根底に日々の姿勢があることを忘れてはならない。

 川上は毎晩バットを枕元に置いて寝て「あの時ああ打てば……」と思い立つと起きだして振った。<運も努力次第>と著書『禅と日本野球』(サンガ文庫)で反論し<あれほどの 努力を人は 運といい>という川柳を掲げている。

 ニュートンはりんごが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した。実話だそうだ。<発見がなぜ偶然のきっかけで得られたかについて(中略)「いつもそのことを考えていたから」と答えた>=野口悠紀雄『超発想法』(講談社文庫)=。

 「幸運はよく準備された実験室を好む」とパスツールの名言にある。よく準備し、よく練習すれば、幸運にも巡り会えるだろう。 =敬称略=(編集委員)

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