【令和新時代 夏のメモリー】帝京・前田監督 “絆”が生み出した新元号V

[ 2019年8月23日 08:00 ]

第71回大会でナインから胴上げされる帝京・前田監督
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 あれから30年の時が流れた。でも、歓喜のシーンは昔と変わらない。新元号初めての夏の甲子園優勝。帝京・前田三夫監督(70)は当時を振り返りながら言った。

 「新しい元号の優勝として歴史に残る。この優勝でさらにいいチームをつくり、高校野球をリードしてほしいですね」。平成元年の夏の優勝監督から、令和元年夏の優勝校への言葉だった。

 くしくも平成元年も同じ8月22日だった。仙台育英との決勝。エースで4番の吉岡(現日本ハム2軍打撃コーチ)が延長10回の末、大越(現早鞆監督)との壮絶な投げ合いを制した。「あのときは吉岡が東東京大会直前に捻挫してね。東東京大会は全く駄目で、それで“みんなに連れてきてもらったから甲子園は俺が”となった」。走り込み不足解消へ、前田監督は大阪入り後に毎日、宿舎近くの武庫川の土手を吉岡と一緒に走った。自然と他の選手も加わり、チームに絆が生まれた。

 「家族のような絆ですよ。こうなるとチームの力が出やすくなる」。吉岡を中心に進撃し、完全アウェーの決勝で東北勢初優勝を阻んだ。これが帝京の初優勝。履正社もセンバツで星稜・奥川に零敗し、そこからチームがまとまり、北陸勢夏の初制覇を阻止した。「グラウンド、スタンド一丸で勝てました」。野口主将の言葉が履正社の“絆”の象徴だった。

 帝京は初優勝後、92年春と95年夏も日本一になった。新元号初V。それは履正社の新時代の躍進の幕開けだった。(秋村 誠人)=終わり=

 《89年夏 吉岡3完封》89年夏の帝京は初戦(2回戦)でエース吉岡が米子東を完封して波に乗った。準々決勝(11―0海星)は吉岡が満塁本塁打を放って大勝。吉岡は準決勝(4―0秋田経法大付)、決勝(2―0仙台育英)も完封して大会3完封、41回1失点だった。当時は準々決勝(吉岡―池葉の完封リレー)から決勝まで3日間の連戦で吉岡は3連投。入念な体づくりと専属トレーナーを付けた体のケアで「故障の心配などはなかったし、連投でも全く問題なかった」と前田監督は振り返っている。

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