ヤクルト五十嵐、復活の裏側に石井コーチとの“コンビ愛”「ロケットボーイズ」再結成

[ 2019年5月21日 08:49 ]

4月中にリーグトップタイの5勝を挙げ好調のヤクルト・五十嵐
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 10年ぶりに古巣・ヤクルトへ戻った五十嵐亮太投手(39)の存在感が増している。4月中にリーグトップタイとなる5勝をマークし、40歳以上のシーズンで史上初となる快挙も達成。昨季ソフトバンクを自由契約となったベテランだが、下半身主導の投球に修正して球威も復活。かつての盟友と二人三脚で取り組んだ成果といえた。(取材=黒野 有仁)

 28日で40歳を迎える五十嵐が、リーグトップタイとなる5勝を挙げている。昨オフ、ソフトバンクから戦力外を通告されたベテランの活躍を、どれほどの人が予想していただろうか。

 日米通算22年目の今春も腰痛に加え、右ふくらはぎを痛めて出遅れていたが、石井弘寿投手コーチは「本来の体の使い方ができれば、まだまだ投げられる」と確信めいたものがあった。具体的には「上半身に頼った投げ方をしていた」と指摘する。

 3月17日。ソフトバンクとのオープン戦で1回2失点を喫すると、2人で話し合い、「復活プログラム」をスタートさせた。トレーニングは独創的だった。マウンドを利用し、傾斜を上るように逆向きに踏み出して、キャッチボールを行った。踏み出す左足が接地してから投げる下半身主導を意識するためだった。

 五十嵐の腹も決まった。「石井コーチに(全てを)投げました。“僕の今季の成績は石井さんにかかっている”とね」。練習前には足の指でタオルをつまんでたぐり寄せた。足指だけで歩くことにも取り組んだ。これで地面をつかむ感覚を身に付けた。

 「開幕1軍に入れたのもギリギリだと思っている。でも、どんどん良くなっている手応えがあって。チームの力になれるという感覚はあった」。4月18日の阪神戦では149キロを計測。15年前の158キロには及ばないが、投球フォームは縦振りとなり球威も増した。

 五十嵐にとって、石井コーチは特別な存在だ。10年前は150キロ超の剛腕コンビとして「ロケットボーイズ」と呼ばれた。「ゴリさん」だった呼び方は「石井コーチ」となったが、「一緒にやっていた選手と同じユニホームを着てやれる喜びはある。気を使ってあげています」と笑う。「先輩・後輩」の立場が「選手・コーチ」に変わっても、最高のパートナーであることに変わりはなかった。

 ≪かつての先輩も後押し≫五十嵐は石井コーチ以外にも、最初にヤクルトに所属した当時の先輩たちからバックアップを受けた。オフにソフトバンクから戦力外通告を受けたとき、宮本ヘッドコーチ、高津2軍監督とともに古田敦也氏からも連絡を受けた。現役続行の意思を伝えると「年を取って体も若いときと違ってくるけど、老いと闘うことも良いもんだよ」と声を掛けられた。10年前と体のサイズはほとんど変わらないが、筋肉の弾力性、瞬発力には衰えを感じている。それでも、かつてバッテリーを組んだ先輩の言葉を胸に前向きに取り組む。「自分に今までなかったものが出てきて、それに向き合いながら挑戦していくのが楽しい。後々、プラスになると思う」と常に進化を追い求める。

 ◆五十嵐 亮太(いがらし・りょうた)1979年(昭54)5月28日生まれ、千葉県出身の39歳。敬愛学園から97年ドラフト2位でヤクルト入団。04年に最優秀救援投手。09年にFAでメッツに移籍し、12年はパイレーツ―ブルージェイズ―ヤンキースに所属。13年にソフトバンクで日本球界に復帰。1メートル78、95キロ。右投げ右打ち。

 ◆石井 弘寿(いしい・ひろとし)1977年(昭52)9月14日生まれ、千葉県出身の41歳。東京学館から95年ドラフト4位でヤクルト入団。主に中継ぎで活躍し、02年に最優秀中継ぎ投手。04年アテネ五輪、06年WBC日本代表。11年に現役を引退し、12年にヤクルト2軍育成コーチに就任。17年から1軍投手コーチ。1メートル80、100キロ。左投げ左打ち。

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