マリアノ・リベラが史上初の満票殿堂入りを果たしたのは…

[ 2019年1月29日 09:00 ]

現役時代のマリアノ・リベラ氏(AP)
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】ヤンキースで歴代最多の通算652セーブを記録したマリアノ・リベラ氏(49)が資格1年目で米国野球殿堂入りした。

 1936年に始まった殿堂入り投票84年目にして初の満票を獲得したレジェンド中のレジェンド。一度だけ取材したことがある。

 50歳のときに担当した連載「ボールパークを行く」。伝統の一戦を終えた旧ヤンキースタジアムのロッカールームで最強クローザーに話を聞いた。

 2006年5月12日付のスポニチ本紙に掲載された原稿をご覧いただきたい。

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 4点差。セーブはつかない。だが、相手は宿敵レッドソックス。30球団でただ1人背番号42を許されている男は、右手でグラブを持って左中間のブルペンを出た。

 ハードロックバンド・メタリカの「エンター・サンドマン」のリズムに乗って、気合を入れてマウンドに向かう。マリアノ・リベラ。9回を簡単に3人で片づけ、チームメートとのハイタッチに力を込めた。

 42は1947年4月15日にデビューした近代メジャーリーグ初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソン(ブルックリン・ドジャース)がつけた番号。その功績を称え、97年に全球団共通の永久欠番となった。

 その時点で42をつけていた選手に限っては、その球団で現役を続ける間の継続使用が認められたが、1人消え、2人消え…。現在ではリベラしか残っていないのだ。

「この数字の持つ意味を考えるとね…。ジャッキー・ロビンソンがわれわれマイノリティーにドアを開けてくれた。その番号をつけられるのは特権であり、喜びだ。しかもマイノリティーとして最後の選手になれたことには格別の思いがする」

 日本では「死に番」として敬遠されてきた42。今は日本人も下柳(阪神)、長谷川(広島)、萩原(オリックス)の3人がつけているが、もっぱら外国人選手に与えられることが多い。

 現在はカブレラ(西武)、バーン(ロッテ)、フェルナンデス(楽天)、クルーン(横浜)、パウエル(巨人)、ドミンゴ(中日)。そしてリベラと同じパナマ出身のズレータ(ソフトバンク)である。

「おお、フリオ(ズレータ)か。知ってるよ。ビッグ・ガイだろ。最近は会ってないけどいいやつだよ。彼も背番号42?そりゃあいいや」

 古い友人にも思いをはせたメジャー最後の背番号42。4月15日は2004年から「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定され、各球場でイベントが行われている。

 黄色人種である、われわれもマイノリティー。現在の日本人選手の活躍も偉大なる先達のおかげかと思うと感慨深い。

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 背番号42の意味については、おそらく何十回、何百回と聞かれていたはずだ。定番の質問を、しかも拙い英語でしてくる日本人記者にも丁寧に答えてくれる。感激した。

 でも、リベラの思いはすでに何度も活字になっている。そこで私は現地の記者が絶対に聞かない質問も用意していた。

 2003年からダイエー・ソフトバンクに在籍して4年間で122本塁打を放ったズレータについてだ。パナマ、背番号つながりがある。「日本でホームランを打ちまくっているよ」と伝えると、リベラはうれしそうに話してくれた。

 帰国後、ズレータに遠征先の東京ドームで話したら「オレのことを覚えてくれていたのか」と大喜びしていたなあ。

 全米野球記者協会に所属して10年以上の経験を持つ記者による殿堂投票。リベラが今回投票した425人全員から支持された背景にあるのは、背番号の歴史的価値や成績だけじゃない。13年前を振り返って、そう思った。(特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。2006年に連載企画「ボールパークを行く」を担当し、50歳にして初めて大リーグを取材した。

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