【新潟】気高く散った長岡向陵 松井秀喜と真っ向勝負 「伝説」が生まれる直前の一戦

[ 2018年7月1日 08:00 ]

第74回大会1回戦   長岡向陵0―11星稜 ( 1992年8月11日    甲子園 )

<星稜・長岡向陵>5回1死一、二塁、星稜・松井は右中間に走者一掃の三塁打を放つ
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第74回大会1回戦 長岡向陵0―11星稜(1992年8月11日 甲子園)

 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。



 見たことがないような速さだった。右中間に飛んだライナーも、スイングスピードも。「同じ高校3年かよ…」。テレビに向かってつぶやいて、麦茶を飲み干したのを覚えている。

 我が故郷・新潟から初出場した長岡向陵が、松井秀喜を擁する星稜と対戦した。長岡向陵のエースはサイドスローよりもやや下から投げる変則右腕・竹内正人。松井に対し特大の右飛、四球の後の第3打席。5回1死一、二塁からの甘い直球は、強烈なライナーで右中間へ飛びワンバウンドでフェンスに当たる三塁打になった。これで0―3とされ星稜ペースにのみ込まれ、結局大差での敗戦になった。

 竹内と松井の対戦成績は4打数1安打1四球。この結果に、後に日が当たる。8月16日の2回戦、明徳義塾―星稜であの「5打席連続敬遠」が発生したからだ。100回を数える夏の甲子園で「5敬遠」は記憶に残るゲームのひとつ。高校野球のあり方を問う社会問題としても注目された。その衝撃の出来事の5日前、我が故郷の代表は松井と真っ向勝負した。

 高校球児だった私にとっての高3の夏。届かなかった甲子園で、新潟代表が初戦で星稜と対戦し気高く散った。実はその夏の新潟大会直前、我々の練習試合の最後の相手が長岡向陵で接戦で敗れた。その年は本命なき混戦だったが、我々は新潟大会準々決勝で敗れ、長岡向陵と対戦することもなく最後の夏を終えた。

 記者としては、日本文理が中京大中京に4―10の9回2死走者なしから1点差まで迫った2009年の決勝や、他にも挙げるべき新潟勢の試合はある。ただ、個人的には92年夏への思い入れを越えるものはない。それが「伝説」が生まれる直前の一戦だった。

 ◆春川 英樹(東京本社スポーツ部)新潟県十日町市出身。十日町高野球部主将を務めた3年夏の新潟大会は8強。早大でも野球部。現在はプロ野球・西武担当。

 <新潟データ>

夏の出場 59回(通算28勝57敗)

最高成績 準優勝(日本文理=2009年)

最多出場 中越(10)

最多勝利 日本文理(9)

出場経験 17校、うち未勝利9校

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