困難克服の「人間力」――創部94年、初優勝の国立・和歌山大(下)

[ 2017年5月28日 09:45 ]

神宮球場を下見に訪れた和歌山大・大原弘監督(5月20日)
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 【内田雅也の広角追球】大阪・南港中央球場のベンチ横で優勝後の光景を眺めていた和歌山大野球部OB会「和球会」相談役、神前(こうざき)孝之さん(83)は車いすを下りて歩み寄った。大原弘監督(51)や竹林明野球部長(観光学部教授)と握手を交わす。

 「生きているうちに、こんな日が来るなんて……。夢のまた夢だよ」

 神前さんは1956年(昭和31)秋のリーグ戦でノーヒットノーランも達成した投手だった。「僕らのころは硬式野球経験者も数人だけ。遊びの延長みたいでした」。桐蔭高時代、中国戦線から引き揚げてきた大先輩、西本幸雄さん(元阪急、近鉄監督=故人)の指導を受けた。その厳しさとは雲泥の差だった。

 優勝した5月17日の夜、娘のジャズシンガー、神前理恵さんがフェイスブックに「和大野球部、万歳」と投稿した。昨年、今年と腰と頸椎(けいつい)の手術を受け、心臓にも不安があるという父親を迎え、付き添う和歌山大野球部員の「素晴らしさを知ってもらいたい」と書いた。

 野球部のツイッターにはスタンドで観戦していた方が「感謝から生まれる闘志は最強という、たたずまいを感じる」との投稿があった。

 大原監督が目指す「人間力」の勝利である。「社会に出ていった時にどんなことが必要か。周囲からどう見られるか。好感を持たれる人間になろうと話しています」

 困難の克服や周囲の模範、地域への貢献――どこか、選抜高校野球の21世紀枠出場校の雰囲気が漂っている。

 専用グラウンドはなく練習は週4日。火曜と木曜は授業終了後の午後4時30分からアメリカンフットボール部と共用。土曜日曜は正午から午後5時まで。主将の真鍋雄己捕手(4年=高川学園)は「残りは空きコマ(授業のない時間)の自主練習と始業前(午前9時まで)の早朝練習で補っています」と話す。

 部費はほとんどなく、キャンプや遠征などの活動資金は部員たちがアルバイトで稼ぐ。つぎはぎだらけのユニホームもあった。今回の優勝で全日本大学野球選手権(6月5日開幕、神宮など)に出場するが、今は寄付金を集めている最中だ。

 特待生はいない。高校全国水準で得られるスポーツ推薦(他部を含め学年4人)で1〜2人。学年30人の一般推薦は野球実績に無関係で評点平均4・0以上、グループトークと小論文がある。毎年数人を確保する。

 大原監督は学習塾などを運営するエスビジョングループ(本社・和歌山市)の事業統括本部長。仕事で全国を回る合間に自身の人脈を使って、勧誘を行う。今では甲子園経験者9人が在籍する。

 また「進学先の選択肢に入れてもらおう」と1部復帰後の4年前から高校3年生対象の「練習会」を実施している。

 「野球王国と呼ばれた和歌山も少年野球人口が減り続けている。プロも企業チームもない。和歌山県唯一の国立大野球部として、手本となる野球を示そう」。学童軟式野球、リトルリーグ、中学野球部に指導に出向いている。「和大ががんばる姿を見て、子どもたちが何かを感じてくれたら」

 最優秀選手(MVP)となった貴志弘顕投手(2年=桐蔭)は「素晴らしい野球をしている和大でやりたかった」と1浪しての入学だった。

 そうして、リーグ戦15連覇中だった強豪私学の奈良学園大を破った。同校から勝ち点を挙げるのも初めてだった。

 胴上げシーンがほほえましかった。部員たちが「ヒ、ロ、シッ! ヒ、ロ、シッ!」と監督を招き、石谷俊文コーチ(63=元向陽高監督)は「ト、シ、フミッ!」。笑顔と涙にあふれていた。

 「選手の気持ちに寄り添い、心に入っていきたい」と願った就任時からの大原監督の思いが実った光景だった。

 春季キャンプは例年、沖縄・国頭で東海大、神奈川大の後に行う。昼食は各大学とも近くの道の駅からのケータリング。店の主人が「だんだんと監督と部員の距離が近づいているのが分かりますね」と話していた。大原監督は選手たちと一緒に食べ、語り合う。

 一丸の和歌山大が初の全国に臨む。大原監督は優勝3日後の20日、舞台となる神宮球場に足を運び、東京六大学リーグを視察した。太陽光線を避けるため、サングラスを着用しての練習を指示した。練習会場の予約もすませた。神前さんは「東京にも行く。歩く練習を始めた」そうだ。

 「学生野球の聖地、神宮でやれる幸せを感じながら戦いたい。どこまでやれるか分からない。今まで通り自分たちの野球をやろう」。気負いはない。65回を迎える大会に新風を吹き込むことだろう。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。和歌山大・大原弘監督は和歌山リトルリーグ、桐蔭高(旧制和歌山中)野球部の後輩にあたる。慶大から85年入社。高校野球や阪神担当からデスク、ニューヨーク支局長を務めた。03年から編集委員(現職)。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は11年目。

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