ソフトB工藤監督 史上4人目候補初年度殿堂入り「本当にビックリ」

[ 2016年1月19日 05:30 ]

現役時代の工藤氏

 野球殿堂入りを決める野球殿堂博物館の表彰委員会は18日、競技者表彰のプレーヤー表彰に西武、ダイエー、巨人などで通算224勝を挙げた工藤公康氏(52=ソフトバンク監督)と巨人のエースとして活躍した斎藤雅樹氏(50=巨人2軍監督)を選出した。工藤氏は候補者1年目の選出で恩師のソフトバンク・王貞治球団会長らに次ぐ4人目。エキスパート表彰は大毎(現ロッテ)などで通算2314安打を放った故榎本喜八氏、特別表彰は元法大監督の山中正竹氏(68)、戦後の野球復興に尽力した元衆院議員の故松本瀧蔵氏が選ばれた。

 工藤氏はトレードマークの大きな目を輝かせた。ただ、声は少しだけ震えていた。西武時代の1986年、広島との日本シリーズ第8戦で1点リードの8回にマウンドに立った時、通算200勝を達成した巨人時代の04年8月17日ヤクルト戦。それ以来の緊張感がスピーチで襲った。それだけの重みを感じていた。

 「西武時代に渡辺久信、郭泰源といった自分が絶対にかなわないと思った選手がいた。そして、てっぺんに東尾さんがいた。近くに目標がいて、少しでも近づきたいと思った。チームも黄金時代で、野球選手として恵まれていたと思います」

 有資格1年目での殿堂入りは60年のヴィクトル・スタルヒン氏、94年の王貞治氏、14年の野茂英雄氏に続く史上4人目の快挙。「本当にビックリしている」としたが、周囲の選手を参考にし、盗み、自分を磨いていった積み重ねがプロ野球最長タイの実働29年、通算224勝につながった。中でも251勝を誇る東尾修氏との思い出は尽きない。「東尾さんから、野球の言葉を頂くのは何年かに一度。それを楽しみに一緒にいました」。20代前半に「直球とカーブだけで勝てると思うな」。そして4年目まで2桁勝利ができず「なぜ勝てないか」と問うと「体の力がない」。意味をかみしめ、自分の道を切り開いていった。

 恩師の王氏と並ぶ歴代1位の日本シリーズ14度の出場。西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人の3チームで11度の日本一にも貢献した。86、87年の日本シリーズ連続MVPと大舞台にも強さを発揮し、ONを唯一胴上げした男は「優勝請負人」と呼ばれた。20代後半からは科学的理論に基づいたトレーニングや栄養学を勉強し、妻の雅子さんと二人三脚で体調管理に努めた。昨年からソフトバンクの監督を務めるが、今も筑波大大学院に籍を置く。「学ぶ姿勢というものは一生忘れないでいたい」と言った。

 昨季、監督就任1年目でソフトバンクを球団初の日本一連覇へと導いた。「今は監督なので、V3という大きな目標に向かっていきたい。時代は変わっても野球は同じ。身に付けなければいけないものも同じ。一時代を築けるチームにしたいし、殿堂入りする選手が一人でも多く出てくるように頑張っていきたい」。工藤氏は野球界のために今後も前進し続ける。 (倉橋 憲史)

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 29年間の長きにわたる現役生活で、正統派左腕として常に優勝争いで活躍し続け、多くのファンを魅了した。彼の野球に対する真摯(しんし)な姿勢は、選手の手本となるものだった。これからも野球の発展に欠かせない存在として活躍を期待している。

 ◆工藤 公康(くどう・きみやす)1963年(昭38)5月5日、愛知県生まれの52歳。名古屋電気(現愛工大名電)では81年夏の甲子園の長崎西戦でノーヒットノーラン。同年ドラフト6位で西武入団。ダイエー、巨人、横浜でもプレーし、実働年数29年はプロ野球タイ記録。主なタイトルは最優秀防御率4度、最高勝率3度、リーグMVP2度など。15年からソフトバンク監督。左投げ左打ち。

 ▽野球殿堂 日本野球の発展に大きく貢献した人たちの功績を称え、顕彰することを目的に1959年に創設された。プロ球界で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰と、指導者も対象となるエキスパート表彰)と、審判員やアマを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出はいずれも投票で75%以上の得票が必要。今回で競技者表彰89人、特別表彰は103人となった。殿堂入りした人物は東京ドームの野球殿堂博物館にレリーフが飾られる。

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