アマ指導者への高いハードル、それでも衰えぬ定岡正二氏の情熱

[ 2015年12月14日 10:45 ]

資格回復研修を終え取材を受ける定岡正二氏

 会場には球史を彩ってきた名選手たちの姿もあった。プロ野球経験者が学生野球を指導する資格を回復するためのアマチュア側の研修会が12、13日に都内で開かれた。かつては教員になり10年を経なければ指導できなかったのが、1994年に5年、97年に2年と短縮され、教員でなくてもプロ、アマ両方の講義を受ければ指導ができるようになった。

 現在の資格回復の規則となり今年で3年目。アマ側の研修会は19日から2日間、大阪でも開催される。東京会場では元巨人の吉村禎章氏、松本匡史氏、元阪神の八木裕氏らが参加した。「兄が高校野球の監督になったのがきっかけです」と話したのは元巨人の定岡正二氏だ。兄の智秋氏が今年の夏に大分・柳ケ浦の監督に就任し、資格回復を意識するようになったという。

 定岡氏は鹿児島実のエースとして74年夏の甲子園でベスト4進出。甘いマスクで女性ファンの視線を独り占めした。同年のドラフト1位で巨人に入団し、82年には15勝を挙げた。2日間ともに約6時間の講義を受けた定岡氏は「充実した時間を過ごせた」と修了証を受け取り話していた。

 今後、来年2月の適性審査を経て資格回復が認められる。元甲子園のアイドルが監督として聖地に戻れば話題となるだろうが、現実は厳しい。定岡氏はラジオの野球解説やテレビ出演などタレントとしての活動もしているが、監督は解説、タレント業ともに禁止されている。また、非常勤では監督になれない決められている。

 全国で野球部がある高校は約4000校。プロ野球経験者の母校は600校に満たず、受け皿として有力な私立校の数はさらに絞られる。監督になるには狭き門をくぐらなければならない。2012年春の甲子園ではダイエーで活躍した大越基監督が山口・早鞆を指揮したが、甲子園出場はとんでもなく高いハードルといえる。

 定岡氏の場合は、野球解説者と兼ねることが可能なコーチなどが現実的かもしれない。コーチならば複数の学校の指導も可能で、こうした形でアマと交流するケースが今後増えるだろう。プロで得た技術や知識を伝えることは、野球界全体の発展にもつながる。「高校生を指導できる期待、不安、喜びがあります」と定岡氏。甲子園の元ヒーローが野球に燃やす情熱は衰えていなかった。(森 寛一)

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