黒田 実は引退を考えていた 思いとどまらせた松井氏の耳に残った言葉

[ 2014年1月9日 11:28 ]

ロサンゼルスで自主トレを行うヤンキース・黒田

 日本人メジャーリーガーのトップに君臨する男が、ヤンキースの黒田博樹投手(38)。4年連続2桁勝利をマークし年俸1600万ドル(約16億8000万円)で契約を延長したが、その裏にはある苦悩が…。現在、ロサンゼルスで自主トレ中の右腕がスポニチの独占インタビューに応じた。現役引退が頭をよぎる中、思いとどまらせたのは、12年シーズン限りでユニホームを脱いだ同学年の松井秀喜氏(39)の言葉だった。

 ――ヤンキースと再契約に合意したのは昨年12月6日(日本時間7日)。FAになってから1カ月以上かかった。

 「実は引退を真剣に考えた。これだけ引退してもいいかなと思ったオフは初めてだった」

 ――理由は。

 「自分の中での野球に対する考え方から。投手として打たれるのはつらい。メジャーは年齢がいっているから勝てなくてもいいと、優遇してもらえる世界ではない。力がなくなれば去る。日本とは引退についての考え方が違うと感じてきた」

 ――8月19日時点では防御率がア・リーグ1位だったが、終盤に6連敗を喫した。

 「前半できていたものができなくなり、それがなぜなのか探せなかった。今、冷静に考えると、前半飛ばしすぎたというのがあったと思う。チーム状況もよくなかったので。精神的にも体力的にもシーズンを通してスタミナが持たなかった」

 ――昨季は同僚のペティットやリベラが引退し、松井秀喜氏の引退セレモニーも行われた。その場に居合わせて感じることもあったのでは。

 「松井とはマリアノ・リベラの引退セレモニー(9月22日)の時に引退の話になった。同い年で一番意識してきた選手なので、僕なりの引退の考え方を聞いておきたかった。僕は、松井はもう少しやれたんじゃないかと思っていた。でも彼ははっきり“もうやりきった”と。そういう気持ちになったと言った。選手が引き際を決める時は、最後はそこなのかと。耳に残った言葉だった」

 ――松井氏は現役生活の最後は手術した両膝など、体が思うように動かなかった。

 「その点でも自分はそこまで体の面で追いつめられていない。それなのに引退してもいいのかと考えた」

 ――FAになった後も、ヤンキースは球団幹部が終始「黒田と再契約したい」と熱望していた。ヤンキースとしては異例のシーズン中の契約延長を申し入れてきたとも聞いている。

 「11勝目を挙げたエンゼルス戦(8月12日)の次の日。ハル・スタインブレナー共同オーナーがたまたまウエートルームにいて“話し合いの準備はできている”と。その時点で代理人に打診があったと思う。FAになったといっても、ヤンキースは特別なチーム。その球団に評価していただき、やはり一番に考えたいという気持ちはあった」

 ――古巣の広島が獲得に動くとの報道もあった。

 「何度も言っていますが、もし日本でプレーするならカープ。ただ、僕は一年一年区切って考えたいし、選手生活の最後をどうするかは、まだ分からない。このオフ、カープから電話をもらったのは、僕の気持ちがヤンキース残留でほぼ決まりかけていた時期だった。そこから判断するのは難しかった」

 ――今季、新たに意識していることは。

 「3年間続けて200イニング以上投げてきたが、果たしてそこが自分にとって大事なことなのか。アンディ(ペティット)を見ていてそう思った。彼は200イニングはあまり投げていない。でも、あれだけプレーオフで勝っている。何か秘けつがあるのではないかと。ヤンキースでやる以上、目標は世界一。そのためにチームから自分が何を一番必要とされているのか考えないといけないと思う」

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2014年1月9日のニュース