大塚 BC信濃からNPB、MLB復帰を!王さんから激励ボール

[ 2013年6月9日 06:00 ]

BC信濃に入団した大塚は王氏からのメッセージ入りサインボールを手にする

 レンジャーズなどで抑え投手として活躍し、右肘の故障で07年を最後にマウンドから遠ざかる大塚晶文(あきのり)投手(41)が8日、長野県中野市内で独立リーグ、BCリーグ・信濃グランセローズの入団会見に臨んだ。背番号は近鉄時代の11。会見では、06年WBCでともに戦ったソフトバンクの王貞治球団会長(73)から激励の言葉が記されたボールが贈られた。大塚は今季中の日本野球機構(NPB)への復帰を目指す。

 白球に書かれたメッセージ。大塚はじっと見つめていた。「野球に生命をかける 大塚晶文君へ がんばれ」。三沢今朝治(けさはる)球団社長から手渡されたサプライズプレゼントには、王会長の激励の言葉が記されていた。自身の野球人生そのもの。感極まった。

 「王監督から気持ちのこもったメッセージをもらえるなんて涙が出そう。この6年間は王さんを世界一の監督にできたことが誇りで支えだった」。優勝した06年の第1回WBCで王会長が監督を務め、大塚は胴上げ投手になった。レンジャーズ時代の翌07年7月1日が最後のマウンドとなり、苦闘が始まる。5度の右肘手術。痛みが消えず、昨年は左投げにも挑戦した。どんなに苦しくても再起を目指した。心の支えが世界一だった。

 「数えきれないくらいの挫折感や不安、恐怖と戦いながら自分を奮い立たせ、最高の舞台に絶対戻ってやるという気持ちで頑張ってきた。目標はNPB、MLB(メジャー)の復帰」。右肘の痛みは消えたとはいえ、ブランクは長い。かつての武器は150キロを超える直球と切れ味鋭いスライダー。全盛期には戻らなくても、制球力と経験がある。「球速は140キロを超えてくれればいい。変化球は抑える時まで企業秘密」。今後は20日前後の試合で初登板する予定。NPBの支配下登録期限である7月31日までの移籍を目指し「プロで通用する球をスカウトに見せたい」と誓った。

 原点回帰。背番号は近鉄時代の11にした。「思い入れのある番号だし、再出発にいい」。中日時代の03年から「晶則」だった登録名も本名の晶文に戻した。日米通算176セーブの守護神は言った。「野球人生のセーブシチュエーションだと思っている。“この回を抑えれば勝てる”というところまできている」。試練を乗り越え、最終回のマウンドに必ず上がる。

 ▽大塚の復帰までの経過 レンジャーズに所属した07年7月1日のレッドソックス戦で右肘を痛め降板。同9月に自由契約となった。08年1月に右肘の腱移植手術を受けると、09年8月は骨片除去手術。10年1月に再び腱移植手術を行い、11年9月に2度目の骨片除去手術、同10月に腱修復手術を受けた。今年3月11日から本格的に投球練習を再開。

 ◇独立リーグ入りしたメジャー経験を持つ主な投手

 ☆伊良部秀輝(ヤンキース、エクスポズ、レンジャーズ)09年8月に四国・九州アイランドリーグ(当時)の高知と契約し、2試合に登板。

 ☆高津臣吾(ホワイトソックス、メッツ)11年にBCリーグの新潟に入団し、2年目の昨季は監督も兼任して引退。

 ☆マック鈴木(マリナーズ、ロイヤルズ、ロッキーズ、ブルワーズ)11年に関西独立リーグに参入した神戸の投手兼監督に就任。

 ☆木田優夫(タイガース、ドジャース、マリナーズ)今季からBCリーグの石川で救援投手として活躍し、17試合で1勝1敗4セーブ。

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2013年6月9日のニュース