思い出になった5打席連続敬遠…星稜“松井の次の打者”の20年

[ 2013年1月6日 13:35 ]

1992年8月、夏の甲子園大会の明徳義塾戦で、5打席連続で敬遠された星稜・松井

 すべての事象には「光と影」がある。92年の夏の甲子園。明徳義塾(高知)が星稜(石川)の松井秀喜を相手に取った「5打席連続敬遠」は、高校野球の在り方をめぐって社会問題にまで発展した。強打者の逸話として語り継がれる一方で、松井の直後の5番打者だったのが月岩信成(のぶなり)さん(38)だった。

 「あれから20年という節目の年に松井が引退。感慨深いですよ。僕らの“代表”だったので、会見を見てじーんと来たし、感動しました。それと明徳戦のことは松井が現役である限り、僕も聞かれ続けると思っていたので一安心というか…。ちょっと寂しいというか」

 そう話した月岩さんだが、あの夏の日を振り返れるようになり、当時のビデオを見返したのも30歳を過ぎてからだという。明徳義塾戦では3回にスクイズこそ決めたが、4打数無安打。松井が一塁へ歩かされた後、徹底的に打ち取られた。試合中は松井から「普段通りやれ」と声を掛けられ、試合後はそっと肩を何度か叩かれたという。

 それでも消えない思い。「自分が打っていれば…」。多感な18歳の少年が精神的に極限まで追い詰められたのは想像に難くない。大阪経済大に進学したが、この一件を蒸し返されほどなく退部。「まだ子供だったんでしょうね。周囲から面白おかしく言われ、世間全てが敵に思えた。野球を続けること自体で罪悪感にさいなまれた」。野球をやめ、松井をはじめ当時のナインとも卒業後は距離を置いた。

 ただ、時間とともに心に落ち着きを取り戻すと、松井の帰省時には当時のメンバーで温泉旅行に参加。「今は良い思い出。あれは僕しか経験できないことだったんだから」と笑顔も戻った。

 月岩さんは昨年3月に石川県金沢市に焼き鳥・串カツ店「KUSI56(くしころ)」をオープン。店名の「56」には松井の背番号「55」のあとを受けるという意が込められた。「松井と一緒にプレーできたことは最高の思い出だし、松井のあとの5番を打ったのは僕の誇り。今度松井が帰って来たら、一緒に草野球やろうって仲間で盛り上がっています」。松井の引退は月岩さんの新たな人生のスタートでもある。

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