津波で亡くなった祖父へ 小山“手向けの一発”

[ 2011年5月1日 06:00 ]

<中・広>今季初スタメンの小山は2回、左越え1号3ランを放つ

セ・リーグ 中日5―4広島

(4月30日 ナゴヤD)
 不思議な力に導かれるように、中日・小山の打球は左翼ポール際に消えた。2回1死一、二塁。今季初打席の初球、136キロ直球を思い切り振り抜いた。プロ6年目の苦労人。09年5月12日ヤクルト戦(岐阜)以来、通算2本目の1号3ランだった。

 「1打席目の初球は絶対振るつもりだった。本当にうれしかった。おじいちゃん、ありがとうという気持ちだった」

 3月11日の東日本大震災。仙台市の実家が被災した小山の元に、さらなる悲報が届いた。直後から連絡が取れなかった石巻市内に住む祖父の高司さん(87)が津波の犠牲となり、亡くなったことが18日に分かった。小山の名前・桂司は高司さんが名付け親。司という1字をもらったものだという。「おじいちゃん、行ってくるよ」。今季初のスタメンマスク。小山は亡き祖父にそう告げて、自宅を出た。

 3月13日には、支援物資を携え仙台行きを試みた。だが交通手段が確保できず、東京で断念。都内に住む弟の真司さん(26)に水、乾電池などを託した。その後は名古屋市内に部屋を探し、母と姉の家族らを一時避難させた。肉親を支えながら開幕1軍入りし「今年は特別な思いがある」と静かに出番を待った。

 試合後にはファンからホームランボールが届けられた。まだ高司さんのお墓も、写真もないが「いずれお墓ができたらお供えしたい」。チームも借金1。落合監督は「いいじゃん。144試合谷繁は使えないから」と貴重な控え捕手の活躍を喜んだ。祖父へささぐ一発。小山の特別なシーズンがようやく幕を開けた。

 ▼中日・和田(8回1死二塁で決勝の左越え二塁打)継投といい、(直前の)森野の犠打といい、引き分けじゃ駄目、絶対に勝つというベンチの意思を感じた。

 ◆小山 桂司(おやま・けいじ)1980年(昭55)11月19日、宮城県仙台市生まれの30歳。秋田経法大付では1年からレギュラー。秋田経法大を中退後、社会人のシダックスで当時の野村克也監督に見いだされ成長。05年大学・社会人ドラフト5巡目で日本ハム入り。08年オフに戦力外通告を受けたが、トライアウトで落合監督の目に留まり中日入りした。1メートル75、81キロ。右投げ右打ち。

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