今大会最小でも大仕事!前橋商・野口、完封一番乗り

[ 2010年8月9日 06:00 ]

7回1死一塁、中村を空振り三振に取る前橋商・野口

 【前橋商3-0宇和島東】小さな巨人、前橋商・野口が完封一番乗り。今大会参加チームの背番号1を背負うエースの中では最も小柄な1メートル63が、マウンドで大きく見えた。

 「もう少し点を取られると思ったんですが。初回に点を取ってもらって楽になりました」
 大舞台で自己最速を2キロ更新したが、それでも133キロ。だからこそ9個並んだ「0」が痛快だ。カーブ、カット、スライダー、スクリューと多彩な変化球を駆使して、散発3安打。チーム打率・332の相手打線を5回まで無安打に抑えた。
 6回の先頭打者に初安打されたが、見事なけん制技術を見せつけた。「制球力、技術で勝負するしかないんです」。7回1死一塁でもけん制で走者を刺して観衆を沸かせた。技術だけじゃない。2点リードの7回には、左ひざの内側に死球を受けた。臨時代走が出たが8回から再びマウンドへ戻るガッツも見せた。
 全商簿記検定1級に加え、情報処理検定1級の資格を持つ。「商業の勉強は野球に役に立っているのかもしれない。自分は球もあまり速くない。打者の構えや表情を見て、相手の読んでいないボールを投げようと心掛けている」。オフには縦80センチ×横50センチの得点ボードを両手に持ちグラウンド横の40メートルの坂を往復。練習も工夫しながら体格のハンデを克服してきた。
 昨年センバツでは160球完投も南陽工に3―4で初戦敗退。その悔しさをバネにした努力を知る富岡監督も「小さいながら、うちの大きなエースです」とねぎらった。
 試合終了の瞬間、07年12月末に心不全で亡くなった父・利治さん(享年55)が見守る天国へ向け、報告した。「親父、甲子園で勝ったよ。でも優勝までまだこれからだ」。体は小さい。でも前商のエースが抱く夢は大きい。

 ≪遺影を手に母も感激≫野口の母・弘子さん(51)は、利治さんの遺影を手に一塁側アルプス席で声援を送った。突然の悲劇。07年の12月末、いつも通り「ただいま」と帰宅した利治さんは、翌朝心肺が停止していた。「さようならも言えなかった」。野口が前橋商に入学すると、兄、姉と家族5人で仏壇に誓った。「亮太が甲子園に行くことを、お父さんのため家族の目標にしよう」。昨春センバツで願いはかなった。そして初白星。弘子さんも感極まっていた。

 ≪あだち充さん、激励へ≫前橋商出身で「タッチ」などで有名な漫画家・あだち充さん(59)が、9日から3日間、甲子園を訪問。母校の宿舎を訪れナインを激励する予定。前橋商ではチームのトレーナーなどに同氏の許可を得てイラストを使用している。野口は「タッチは読んだことがあります。イラストはうれしいです」と話していた。

 ◆過去の小さな大投手
 ★有本義明(芦屋=49年春準優勝)1メートル65の怪腕。初戦で慶応二を接戦の末、撃破。大鉄、小倉を連続完封して臨んだ決勝は延長12回完投も北野に惜敗した。
 ★光沢毅(飯田長姫=54年春優勝)1メートル57、50キロも初戦で優勝候補の浪華商を完封するなど4試合で1失点。決勝の小倉戦も7安打で完封。
 ★田村隆寿(磐城=71年夏準優勝)1メートル65の頭脳派。初戦から日大一など強豪を相手に3連続完封も決勝では桐蔭学園に唯一の失点を喫し、0―1で敗れた。

 ◆野口 亮太(のぐち・りょうた)1992年(平4)12月24日、群馬生まれの17歳。前橋中央ボーイズでは中3時にジャイアンツカップに出場して8強入りした。前橋商では1年秋から背番号1。09年センバツにも登板した。家族は母、兄、姉。1メートル63、57キロ。左打ち左投げ。

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2010年8月9日のニュース