江藤・慶大“エンジョイ”から“地獄”へ

[ 2009年12月2日 06:00 ]

バントの指導をする慶大・江藤監督(右)

 慶大の新監督に就任した元巨人、中日の江藤省三氏(67)が1日、神奈川の慶大日吉グラウンドで本格始動。純白のユニホームに身を包んだ新指揮官の心は闘志で燃えていてた。

 「僕は“地獄の多摩川”を経験した。長嶋さん、王さん。みんな血へどを吐いていた。日吉も2月には地獄になる」
 自身が慶大からドラフト3位で巨人入りした65年はV9元年。その後3年間の巨人在籍中は当時の多摩川グラウンドで血と汗を流して黄金時代の礎をつくった。慶大では後期試験が終了する2月上旬まで終日練習は不可能で、3月の高知・春野キャンプまで練習量は控えめなのが通例だった。だが、今年は違う。試験終了後からの終日練習を宣言。「バント、走塁、守備、走り込み。できるまでやらせる。ナインには苦痛ですよ」として、東京六大学最古1888年創部の名門に誕生した初の元プロ監督には“地獄の日吉”のイメージができあがっている。
 さらに、新指揮官は慶大のチームカラーでもあった「エンジョイベースボール」も封印。「優勝してこそ楽しい」として、04年秋以来遠ざかる優勝までは、厳しさを前面に押し出していく方針を示した。「グラブさばき一つでもプロを感じる」と湯本新主将が話すように、ナインもその気だ。目の色を変えた“陸の王者”が、地獄からはい上がって頂点を目指す。

 ▼地獄の多摩川 55~85年、巨人が使用した東京・大田区の多摩川グラウンドでの厳しい練習を指す。長嶋、王、堀内、土井、高田、柴田らV9戦士が悪天候の中でもグラウンドで練習に明け暮れた。柴田は当時の「練鑑ブルース」の替え歌「多摩川ブルース」をつくって“人里離れた多摩川に野球の地獄があろうとは”と歌った。

続きを表示

2009年12月2日のニュース