山本篤 2大会ぶり銀!金まであと8センチ…「悔しいが実力」

[ 2016年9月18日 05:30 ]

<リオパラリンピック>男子走り幅跳びT42(切断など)決勝、銀メダルを獲得しメダリストらと笑顔を見せる山本篤(右から2人目)

リオデジャネイロ・パラリンピック 陸上男子走り幅跳び

 陸上男子走り幅跳び(切断などT42)で山本篤(34=スズキ浜松AC)は6メートル62で2位に入り、08年北京大会の銀以来2大会ぶりとなるメダルを獲得した。惜しくも金メダルに8センチ及ばなかった。第10日(16日)の競泳女子50メートル背泳ぎ(運動機能障がいS5)では2大会ぶり5度目の出場となった成田真由美(46=横浜サクラ)が47秒63で5位に入った。

 山本は3本目を終えて3位につけた。観客に手拍子を求め、気合を入れ直して挑んだ4本目。義足側の左で踏み切り、宙高く舞って右側に倒れながら着地する独特のジャンプは会心の出来だった。7月に出した自己ベストに並ぶ6メートル62。ガッツポーズも飛び出した。

 しかし、世界記録(6メートル77)保持者のポポウ(ドイツ)が1本目に出した6メートル70に及ばなかった。「金メダルを獲るジャンプをしたい」と挑んだ3度目の大舞台。今大会では、いまだ誕生していない日本選手団金メダル第1号の期待が高まったが、8センチ届かなかった。

 高校2年の00年3月、スクーターで事故に遭い、左太腿を切断した。義肢装具士の専門学校に進み、そこで陸上にのめり込んだ。もともと跳躍力には自信があった。中高ではバレーボール部に所属し、静岡・掛川西高時代は県3位。7番手の控え選手だったが、スパイクジャンプは約1メートルあった。その能力を走り幅跳びで開花させた。

 初出場の08年北京大会で日本の義足陸上選手として初めての表彰台となる2位。12年ロンドン大会は5位だったが、今年5月には6メートル56の世界記録(当時)も初めてマークした。

 大体大大学院で学ぶなど競技に対する探求心は旺盛だ。日々の練習はスプリント練習中心で、跳ぶことはない。「重要なのは助走スピード。助走が安定すれば踏み切りは安定する」。独自の練習方法が30歳を過ぎても大きなケガなく進化を続ける要因だ。

 「パラリンピックは五輪に並ぶ大舞台。みんなが目指す場所」。00年に24時間テレビを見て初めて知った夢の舞台。日本の義足アスリートの先駆者は目標の金メダルには届かなかったが、2大会ぶりの銀メダルを手に入れた。競技を終えると、日の丸を掲げて誇らしげにウイニングランした。 

 ▼山本篤 悔しいです。(優勝まで)8センチ超えられなかった。(金メダルを)獲れれば英雄になれると思っていたけれど、獲れなかったのは実力ということです。

 ◆山本 篤(やまもと・あつし)1982年(昭57)4月19日、静岡県掛川市生まれの34歳。大体大大学院卒。掛川西高ではバレーボール選手だったが2年時の00年に交通事故で左脚を切断。卒業後、義肢装具士の資格取得のために入学した専門学校で陸上を開始。08年北京パラリンピック走り幅跳びで銀メダル。13年、15年の世界選手権走り幅跳びを連覇。14年アジア大会は100メートル、走り幅跳び、400メートルリレーの3冠。1メートル67、59キロ。スズキ浜松AC所属。

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