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加藤 悔しい銅も「ギリギリ合格かな」

[ 2010年2月17日 06:00 ]

男子500メートルで3位になった加藤条治の2回目

 【スピードスケート男子500メートル】本気で金メダルを狙っていた。最終組で滑った2回目。加藤はゴール後、タイムを確認すると、すぐさま両手で頭を抱えた。2位の長島に100分の3秒差の3位。「今回は準備万端だったのに、てっぺん獲れなくて悔しいです」。最後まで笑顔はなかった。

 1回目は第2カーブでバランスを崩しながらも34秒937で3位につけた。トップとは100分の7秒差。絶好の位置にいた。2回目は最高のスタートダッシュだった。最初の100メートルを全体2位の9秒56で通過。だが、最初のカーブの出口で体が浮いてしまって失速。1回目から0秒14落として、98年長野五輪の清水宏保以来の金メダルは夢と消えた。

 「最低でも銅メダルを獲れたんで、ギリギリ合格かな」

 4年間の成長ははっきり示した。1回目のレース前、製氷車のトラブルで1時間以上レースが中断した。アップを始めようとした矢先だったが、一度控室に戻り「みんな条件は一緒」と気持ちを落ち着かせた。トリノ五輪では1回目のレース直前に転倒者が出て、氷の補修のため10分間スタートが遅れるアクシデントに対応できず11位。この出遅れが響いて、金メダル最有力候補として臨んだ大会は最終的に6位。同じ過ちは繰り返さなかった。

 山形中央高3年時から日本代表で活躍してきた天才が、昨季の後半は極度のスランプで、スケート人生最大の危機にあった。「コーナーで右足が置けなくなった」。過去に何人もの選手が引退に追い込まれた奇病「(足が)ブラブラ(する)病」の疑いがあった。母・順子さんには「もうだめかもしれない」と漏らした。治るかどうか分からない不安の中、オフは練習に明け暮れた。そのうちに右半身の筋力が極端に落ちていたことがわかり、体のバランスを矯正。何とか戦える体を取り戻し、バンクーバーに乗り込んだ。

 25歳の加藤にとってバンクーバーは最終目標ではない。金メダルは4年後に再び狙えばいい。「日本選手団としてはいい結果だったし、サンキョーとしてもいい結果だった」。トリノ五輪後はメダルなしに終わったチームの責任を一身に背負った男が、ようやく呪(じゅ)縛から解放された。

 ◆加藤 条治(かとう・じょうじ)1985年(昭60)2月6日、山形県山形市生まれの25歳。小1で兄とともにスケートを始める。当初はショートトラックをやっていた。山形中央高時代にインターハイ500メートル3連覇。05年11月のW杯ソルトレークシティー大会で500メートル34秒30の世界新記録(当時)を樹立した。06年トリノ五輪500メートル6位。W杯は通算7勝。今季W杯は優勝と2位が各1回。1メートル65、65キロ。

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2010年2月17日のニュース