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11月に初防衛戦の丸田陽七太 2月王座獲得は「中学生の丸田の方が強い」との森岡会長の叱咤で目覚め

[ 2021年9月3日 16:19 ]

オンラインで会見し、11月27日に東京・後楽園ホールで初防衛戦を行うことを発表した日本フェザー級王者・丸田陽七太(左)と森岡ジムの森岡和則会長
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 11月27日に後楽園ホールで初防衛戦に臨むことを発表したプロボクシング日本フェザー級王者・丸田陽七太(ひなた、24=森岡)は3日のオンライン会見で、今年2月に王座獲得できた要因について「2つあると思います。体も戦い方も変わったことです」と振り返った。

 2013年アジアジュニア選手権銅メダル獲得などのアマ実績があり、関大北陽高(大阪)3年の15年11月にプロデビュー。いきなり世界ランカーと対戦し判定勝ち。早期の世界王座獲得を期待された。しかし17年10月にプロ6戦目でタイトル初挑戦は東洋太平洋スーパーバンタム級王者・大竹秀典(金子)に判定負け。18年8月には敵地マニラでベン・マナンクィル(フィリピン)と引き分けるなど伸び悩んだ。

 ここで森岡会長は「今の陽七太より、中学生の時の方が強かった」という強烈な一言を放った。その真意をこう述懐する。
 「僕が思う陽七太はリングに上がれば“野獣”になる。小1からリングでは相手に襲いかかっていた。プロで伸び悩んだ時期は少しうまく見せようとか、きれいに戦おうとしていた。もちろんパンチをもらわないで勝つのがいいけど、それが強すぎて闘争心が見えないボクシングになっていた」

 ショッキングな言葉を投げられた丸田は当然「毎日これだけ練習しているのに!」と反発。一方の森岡会長は「僕の言い方が悪かったかもしれない」と後悔しながらも、しばらく険悪な雰囲気だったという。その後にマネジャーを務める丸田の母の仲介により、話し合いを重ねた。丸田は自身の考えを伝えつつ、会長の真意を理解し、戦い方を改めた。「(アマで使用する10オンスグローブより軽く、パンチの衝撃が大きくなる)8オンスを警戒しすぎていた。距離を取る、打って離れる、ちょっと外すとか相手にさわらせない戦い方をしていた。もう少し打たれても打ち返していかないと。倒す、攻める気持ちを出していこうと考えた」。敵地フィリピンで引き分けた直後の試合、18年12月の溜田剛士(大橋)戦から2つのKOを含む3連勝。満を持して臨んだ今年2月の日本フェザー級タイトルマッチで王者・佐川遼(三迫)を7回TKOで破り、初めて王座獲得した。

 戦うスタイルだけでなく、タイトル初挑戦した17年10月とは体つきも変わっていた。それまで成長を阻害しないよう森岡会長が自重させていた肉体強化メニューを解禁。地元から至近の大阪府池田市にある五月山でロードワーク。約4キロの登り坂コースで下半身を徹底的にいじめた。そして上半身もサーキットトレーニングで鍛えた。「パンチ力も、体全体のパワーもついた」と同会長。デビュー当時の想定よりも少し回り道したものの、着実に力を蓄えた。

 ジムの先代会長は1968年メキシコ五輪銅メダリストの森岡栄治氏。6歳で同氏の手ほどきを受けた“最後の弟子”丸田は世界に打って出る機会に備えている。

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2021年9月3日のニュース