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カンムリワシ最速戴冠――1976年10月10日、具志堅用高伝説の始まり

[ 2020年5月22日 05:30 ]

具志堅×グスマン 1976年10月10日 世界フライ級タイトルマッチ具志堅7回KO勝利
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~ボクシング編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。ボクシング編の第4回は、WBA世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)王座を13度防衛した“カンムリワシ”こと具志堅用高です。1976年(昭51)10月10日、ホワン・グスマンに7回KO勝ちし、プロ9戦目で世界王者となった具志堅は、日本ボクシング界をけん引し、一時代を築きました。

それが伝説のはじまりだった。
まだ無名に近かった
21歳の挑戦者は
リングを縦横無尽に動き回った。
素早い出入りと
多彩なコンビネーションで
王者を圧倒。
4回までに
3度のダウンを奪った具志堅は
7回、左ストレートボディーで
相手の動きを止め
ロープ際に追い詰めた。
容赦ない連打。
グスマンは崩れ落ち
仰向けに倒れた。
軽量級らしからぬ
スリリングな展開。
当時国内最速となる
プロ9戦目での戴冠。
沖縄出身初の世界王者誕生。
観衆は熱狂した。

「100年に一人の天才」の
ふれ込みで初の世界戦に
臨んだ具志堅に対し
グスマンは
“リトル・フォアマン”の
異名を持つ21勝(18KO)1敗
11試合が1回KO勝ち
という強打者。
戦前は絶対不利が
予想されていた。
それを見事に覆した具志堅は
故郷の石垣島など
八重山列島に棲息する
国の特別天然記念物になぞらえて
こう話した。
「ワンヤ、カンムリワシニナイン
(自分はカンムリワシになりたい)」

 ≪今なお破られぬ「13連続防衛」≫強打を武器に防衛を重ねた具志堅の人気は急上昇した。テレビ視聴率もうなぎ上りで、78年5月のV5戦では43.2%(関東地区)に達した。これはビデオリサーチ社がオンライン調査を開始した77年9月以降のボクシングの試合では歴代1位。現在もトップ10のうち5試合は具志堅の試合が占めている。
 79年4月のV8戦で6連続KO防衛の日本記録を樹立。80年6月には12度目の防衛に成功し、ジュニアフライ級の世界記録(当時)を塗り替えた。今も13連続防衛の日本記録は破られていない。
 81年3月8日。14度目の防衛戦で4年5カ月在位した王座から陥落したのは、くしくも故郷・沖縄での試合だった。

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