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阿修羅原さん死去、ラグビー代表からプロレスへ…天龍と「龍原砲」

[ 2015年4月29日 05:30 ]

天龍源一郎(左)と阿修羅・原さんのコンビは「龍原砲」と呼ばれ、全日本で一時代を築いた

 元プロレスラーの阿修羅原(あしゅら・はら、本名・原進=はら・すすむ)さんが28日午前5時15分、肺炎のため長崎県雲仙市の病院で死去した。68歳。通夜は29日午後7時、葬儀・告別式は30日午後1時から、いずれも長崎県諫早市小野島町の協同社小野斎場で営まれる。喪主は妹山田咲子(やまだ・さきこ)さん。

 ラグビー選手だった原さんは諫早農高―東洋大―近鉄とFWで活躍し、日本代表にも選ばれた。77年に国際プロレス入りし、78年6月29日の寺西勇戦で正式デビュー。リングネームは作家・野坂昭如氏から命名された。

 国際プロレス崩壊後は全日本に参戦。天龍源一郎との「龍原砲(りゅうげんほう)」でPWF世界タッグ王座を獲得するなど、得意技のヒットマンラリアット、雪崩式脳天砕きを武器に一時代を築いた。だが、私生活の乱れにより88年11月に全日本を解雇された。91年にSWSで復帰。最後まで天龍と行動を共にし、94年10月29日に引退した。その後は母校の諫早農高でラグビー部のコーチを務めたが、3年半前に心筋梗塞を患い、闘病生活を送っていた。

 盟友の天龍は関係者を通じて訃報を知ったが「ノアの三沢さんが亡くなった時にもコメントを出さなかったので今回も辞退したい」としている。昭和の名レスラーがまた1人、この世を去った。

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