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衝撃の4回TKO負け…長谷川、残り10秒“油断”

[ 2010年5月1日 06:00 ]

4R、ロープ際でモンティエル(左)のパンチを食らう長谷川

 11度目の防衛戦に挑んだWBC世界バンタム級王者・長谷川穂積(29=真正)は、挑戦者でWBO同級王者のフェルナンド・モンティエル(31=メキシコ)に4回2分59秒でTKO負けし、05年4月16日から保持してきた王座から陥落した。

 まさかの光景に場内が凍りついた。モンティエルの左フック2発を浴びた長谷川がガクンとよろめき、そのままフラフラとロープ際へと後退。一気に挑戦者からラッシュを仕掛けられると、王者は左手でロープをつかんで体を支えるのがやっと。なすすべもなく連打を浴び、レフェリーが試合を止めた。4回2分59秒、まさかのTKO負け。01年5月20日のプロ5戦目、荒川正光戦に敗れて以来26戦ぶり、そして9年ぶりとなる3敗目。5年間守り続けた王座をついに明け渡した。
 3回までは3人のジャッジ全員が長谷川の優勢を支持。長谷川も「思っていたよりも単調。自分のペースだった」と手応えを感じていた。しかし4回、残り10秒の鐘で油断した。「気を抜いたところにもらったんじゃないですかね…。何で止めたんかと思ったけど、VTR見て、あれだけもらったら止められる。負けたから、実力で言い訳はできない。もちろん悔しさはありますし…」。控室に戻った長谷川は強打でグラついた右の奥歯を気にしながら、力なく試合を振り返った。初めて味わうKO負けの屈辱に目には涙が浮かんだ。
 国内で王者同士による世界戦は男子では初めて。WBOは日本ボクシングコミッション(JBC)非公認の世界統括団体のため、今回はWBC王座だけが懸かっていた。長谷川は仮に試合に勝ってもWBC王座を防衛するだけで、WBOのタイトルを手にすることはできない。それでもあえてモンティエルを挑戦者に選んだのは、3階級制覇の実績を持つ最強王者に勝って自らがNo・1であることを証明したかったからだった。
 昨年12月に10度目の防衛に成功した直後、減量苦からくるスタミナへの不安が課題として残ったが、今回は1カ月前から開始していた減量を1カ月半前から始め、スムーズな減量に成功。練習も順調に消化できていた。それだけに、ショックもまた大きかった。
 今後はモンティエルへの再戦が目標となる。山下会長は「オレはモンティエルとやりたい」と話し、横に座る長谷川も「できるならやりたい。ただ、今はゆっくりしたい」と口にした。このままでは終われない。悔しさを胸に、長谷川は再び立ち上がる。

 ▼真正ジム・山下正人会長 負けたらやっぱり、戦略を考えてるオレの責任。最高の状態で気の緩みがあったかもしれんし。見えないプレッシャーはいっぱいあったし、理解したってください。これで終わりじゃない。一緒にはい上がっていきたい。

 ≪長谷川“ストップ”≫
 ▼長谷川の連続防衛は10でストップ。国内ジム出身者の連続防衛記録では具志堅用高の13に続く歴代2位。世界記録は戦前の世界ヘビー級王座ジョー・ルイス(米国)の25。

 ▼長谷川は連続KO防衛は5でストップ。国内ジム出身者では具志堅用高の6に続く歴代2位。WBC世界バンタム級記録は、カルロス・サラテ(メキシコ)の9。

 ▼05年4月16日に王座に就いた長谷川の在位期間は5年0カ月でストップ。これは日本人選手としては最長記録。なお、日本のジム所属の世界王者で保持期間の最長は、ロシア出身でWBCフライ級の勇利アルバチャコフの5年4カ月(防衛回数は9度)。

 ◆長谷川 穂積(はせがわ・ほづみ)1980年(昭55)12月16日、兵庫・西脇市生まれの29歳。99年11月プロデビュー。5戦目までに2敗したが、03年5月に東洋太平洋バンタム級王座を奪取し3度防衛。05年4月にWBC同級王座を連続防衛14度のウィラポンから12回判定勝ちで獲得した。戦績は31戦28勝(12KO)3敗。身長1メートル69の左ボクサーファイター。

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2010年5月1日のニュース