パラ・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~
パラやり投げ・山崎晃裕 “アボット魂”胸に東京五輪で金、そして「健常者倒したい」
野球のバットを800グラムのやりに持ち替えて世界トップを目指している選手がいる。障がい者野球で世界選手権準優勝の実績を持つ山崎晃裕(23=順大職)はパラリンピック金メダルを目標にやり投げに転向すると、瞬く間に日本記録を更新。世界記録更新も狙える位置まで成長した。東京大会開幕まで600日。隻腕の異色アスリートが金色のメダルを追いかけている。
昨年10月、インドネシア・ジャカルタで行われたアジアパラ大会。やり投げを始めて3年の山崎が日の丸を背負ってアジアの強豪との戦いに臨んでいた。1投目でいきなり足がつった。水分は十分取っていたつもりが、熱帯独特の暑さで思った以上にミネラルや塩分が失われていた。結果は58メートル75で5位。「夏の試合でこういうこともあると分かった。同じ夏開催の東京で金メダルを獲るための過程でいい経験になりました」。この前向きな思考が山崎の成長を加速させている。
先天性右手欠損というハンデがある。子供の頃に打ち込んでいたスポーツは両手を使う、山崎にとって最も不利になる野球だった。「打って投げて走る。それが楽しいからやっていました」。小学3年で地元鶴ケ島エンゼルスで野球を始めると片手だけでバッティングや捕球、送球など工夫をしながらプレーを続けた。
目指したのは大リーグの投手で同じ障がいを持つジム・アボットだった。コーチや親にこんな選手がいると聞かされたことから、手本としてプレーをまねした。「アボット選手がいたおかげでプロ野球選手になりたいと思えるようになった」
基本は両手でプレーする野球を片手でも十分できると確信してからは、野球というスポーツが山崎の負けん気に火を付けた。内野や投手として大学までプレー。「健常者の中でプレーして倒していく。それが自分の中で面白くて、モチベーションになっていた」と新たな目標も芽生えつつあった。
転機となったのは東京国際大で障がい者野球の世界大会に日本代表の中心選手として出場した14年。準優勝で幕を終えた大会後、次なる目標を探していたとき、開催が決定していた東京パラリンピックに野球はなかった。「東京パラに挑戦しないと、これ以上アスリートとして成長できないと感じた」と陸上選手としてパラリンピック出場を考えるようになった。
うっすらイメージしていたパラ陸上の世界に足を踏み入れたのは15年。新しく競技を始めることに比べ、これまで野球で培ってきた競技特性を応用できるものとしてやり投げを選択した。16年1月ごろから、現在の練習拠点の順大さくらキャンパスで練習を始めた。
最初に投げたときの記録は22メートル。慣れた球体を指先で押し出す動作と2・7メートルのやりを投げる技術の差に苦労した。「こんなに難しいんだ」。でも、遠くに飛ばすことに面白みも感じていた。16年4月に中国の試合でパラ陸上デビューを飾った。実際に本格的にやりを投げ始めてからわずか3カ月で54メートルを飛ばすまでに成長した。
卒業論文のテーマは「やり投げで60メートルを飛ばす過程」。もっと飛ばすために片手欠損の特性を理解した技術改善を研究した。その卒業論文の成果として17年5月に行われた大会で60メートル65の日本記録をマーク。「仮説を証明することができました」と胸を張る。
大学卒業後は順大職員として働きながら、充実した練習環境に身を置いてトレーニングを続けている。特にウエートトレーニングにはこだわりを見せる。リフトのために特注の義手を2種類用意。山崎の筋力が上がる分、義手が重さに耐えられるようにカスタマイズを繰り返している。
フィジカルだけではなく、メンタル面も磨いている。哲学書や自己啓発本を読みあさり、思考を常にポジティブに持っていく訓練もしているという。「知らないことを毎日学ぶようにしていけば自分史上最強になれる。常に更新していけば過去の自分が助けてくれるはず」と話す。
今年の目標はドーハで開催される世界パラ選手権で金メダルを獲ることに決めている。もう一つ、健常者の大会で結果を出すことだ。11月には佐倉市選手権で58メートル99のセカンドベストで2位に入った。「やはり健常者とやるのは楽しかった。そこで応援してくれる人たちがパラに興味を持ってくれたらうれしい」
今のパラ陸上選手で健常者と戦えるのは自分1人と豪語する山崎。「20年はとにかく金メダルを獲る。家の壁にも金メダリストと書いています。ゆくゆく健常者と戦って倒したいですね」。それは小学生から変わらない、山崎の一貫した夢だ。東京大会の先、金メダリストとして健常者と戦う山崎の姿にも注目したい。
《健常者と同じ日グラム使用》 山崎のF46クラス(上肢切断・上肢機能障がい)で使用するやりは健常者と同じ800グラム。上肢切断の選手では義手をつけることでバランスを取るなど、さまざまな工夫を凝らして競技をする選手もいる。四肢欠損などの座位クラスでは車いすや、つかむための「投てき台」が用いられる。投てき台では体が浮かないように固定された上で、上半身だけで投げることになる。ルールの範囲内なら体に合わせたオリジナルの投てき台を使うこともできる。
《今季世界記録は64メートル11》 パラ陸上のやり投げ(F46)の今季最高記録はサンダーシン(インド)の64メートル11。世界の最高峰は山崎の持つ日本記録より約4メートル遠くに飛んでいる。世界を見ると、アジア勢に強力な選手が多い。特にインド、スリランカ、中国勢の台頭が著しい。「アジア大会がほぼ世界選手権のようなものですね」と山崎が言うほどだ。山崎が東京大会で金メダルを獲るには最低でも日本記録以上で投げることが必須。「このまま続けていけば金メダルはいけます」と意気込んでいる。
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