パラ・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~

車いすラグビー倉橋香衣 吹っ飛ばされても立ち向かう笑顔のファイター

[ 2017年5月13日 05:30 ]

ボールを手にする車いすラグビーの倉橋香衣
Photo By スポニチ

 通称“マーダーボール(殺人球技)”と呼ばれる車いすラグビーは、車いす同士の激突が許されている唯一のパラスポーツだ。そんな激しい種目だが、意外にも男女の区別がない団体球技でもある。昨夏のリオパラリンピックで銅メダルを獲得し、20年東京の金メダルを目指して再スタートした日本代表候補に、女性として史上初めて選ばれた倉橋香衣(26=商船三井)。壮絶な人生を笑顔で乗り切るファイターの素顔に迫る。 (首藤 昌史、藤山 健二)

 〜何度コートの外に出されても「笑って次のプレー」〜
 本当なら今ごろ、先生として子供たちにスポーツの楽しさを教えていたかもしれない。大学では中学と高校の体育教師の免許を取得した。だが、今、倉橋の周りにいるのは屈強な男性アスリートばかり。今年1月、車いすラグビー日本代表に選出されたあとは、国内合宿やカナダ遠征で日の丸を背負ってプレーした。激突が魅力のラグビーで、吹っ飛ばされる毎日だった。「3メートルくらい飛んじゃうんです。“ワオー”とか声が出ちゃいますよ」

 吹っ飛ばされるには理由がある。車いすラグビーは四肢に障がいがある選手による団体球技だが、最も軽度な3・5から最も重度な0・5まで7段階の選手によって構成される。コートに入る4選手の持ち点は8点以内。倉橋の持ち点は最も障がいの重い0・5で、ボールを扱うより、相手エースの足止めをするのが仕事だ。何度もぶつかり、倒され、コート外に押し出される。倉橋はこう言う。「私の武器は…笑顔かな。精神的に参らないで、笑って次のプレーにいくんです」

 活発な女の子だった。さまざまな習い事を経験する中で「一番疲れて、家で寝てくれるのが体操だった、とお母さんに言われた」と小学1年から地元の体操クラブに通い始め、高校まで体操を続けた。教師を目指して文教大に進学すると「やっぱりクルクル回りたい」と、飛び込んだのはトランポリン部。週3回程度の練習では飽き足らず、住んでいた埼玉県越谷市のクラブでも練習を続けた。

 〜公式練習で首から落下「やってもうた…」〜
 大学2年生で全日本選手権Bクラスに出場した。経験者でも難しいAクラスの出場が、次の目標だった。3年生になったばかりの11年4月24日。越谷市で行われた大会の決勝直前の公式練習で、事故は起きた。1回転4分の3を回る技を「何かタイミングが合わないと思っていたけど、次に待っている人がいるから」と試行。1回転と2分の1で、首から落ちた。

 「体操やってる時から“首だけはやったらあかん”と言われてたのに、ああ、やってもうた、と」。救急車が到着し、タンカで運ばれるとき「目が開いてるから大丈夫なんじゃない?」と、子供たちの声が聞こえてきた。途切れがちな意識の中で「私の事故で試合が行われなかったり、クラブが廃部になったらどうしよう、と。必死に目を開けてました」。

 診断は頸髄(けいずい)損傷。体に感覚がない部分があった。女性看護師には「泣いてもいいんだよ」と言われた。だが、不思議なことに涙は一度も出なかった。「立ち上がりたいとか歩きたいとか思ったこともあったけど、車いすに乗れるようになってからは、この体でどんなスポーツができるんだろうって考えた」。活発な女の子は、激変した環境の中でも変わらなかった。

 治療とリハビリは3年に及んだ。その最後に出合ったのが、車いすラグビーだ。静かに、ゆっくりと動くことを求められていた車いす生活の中で、その激しさが心を揺さぶった。14年春に大学に復学し、教員免許を取得。「将来は先生になりたい。でも、今は東京に出たい」と、卒業後は商船三井に就職し、クラブチームでプレーすることを選んだ。女子選手がコートに入ると、チームは0・5のプラスが許されるのが車いすラグビーのルール。つまり、障がいの軽い選手をより多く投入できる。リオ五輪後に就任したデビッド・オアー新監督が日本代表のカギに、倉橋を指名した。期待が集まる中で、倉橋はこう言う。「私は0・5なので、チームで考えるとプラスマイナス0の選手。でも、0・5の仕事をこなせるようになりたい」。のぞいた笑顔の裏の負けん気こそ、本当は最高の武器だ。

 【背景】
 教師を志し、埼玉県越谷市の文教大に進学していた倉橋が不運に見舞われたのは、大学3年の春だった。トランポリン大会の決勝前の公式練習で背中で弾むはずが首から落ち、頸髄を損傷。埼玉県内の病院で治療を受けたあと、実家のある兵庫県神戸市の兵庫県立リハビリテーションセンター、埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターと転院。入院生活は3年に及んだ。四肢にまひが残る中で、誘われて見学した車いすラグビーの激しさに魅了され、競技を開始。所沢市に拠点を置くクラブチーム「BLITZ」でプレーする中、今年、女性として初めて日本代表に選ばれた。

 【競技】
 車いすラグビーは77年にカナダで考案された競技で、四肢に障がいのある選手の競技として00年シドニー大会からパラリンピックの正式競技となった。バスケットと同じサイズのコートで、バレーボール5号球とほぼ同じ真円のボールを使用。ゴールは8メートル幅のコーンの間をボールを持った選手が通過すれば1点となる。ラグビーとは異なり前にパスすることもできるが、ボールを持った選手は10秒以内にドリブルかパスをする必要がある。出場選手は1チーム4人で、障がいの重い0.5から軽い3.5まで7段階にクラス分けされ、コート上には合計8.0まで。男女の区別はないが、女性1人につき0.5の上積みができるため、全員が女性プレーヤーだと10.0のチーム構成ができる。

 【支援】
 倉橋が昨年4月、就職したのが大手海運会社の商船三井だ。同社にとって「アスリート採用」は初めてのケース。多数の応募者の中から選ばれた理由は「競技と仕事を両立したいという熱意を最も感じさせてくれた」(同社広報室)ことという。現在、人事部ダイバーシティ・健康経営推進室に所属する倉橋の勤務は、週に2日。うち1日は在宅勤務となっている。その他の日は自ら運転する車で各地に出向き、個人トレーニングや所属クラブ「BLITZ」の練習に充てる。今年4月からは同社がクラブとスポンサー契約も締結。同社は「今後も倉橋が20年大会に出場できるような環境を整備していきたい」としている。

 【現状】
 日本代表のオアー新監督は09年から昨年まで強豪のカナダを率いていた名将で、就任直後から「東京で日本に金メダルを獲らせるのが私の仕事。そのためには新しい力が必要」と新戦力の発掘に力を入れている。中でも一番期待しているのが倉橋で「元々トランポリンの選手だったので、非常にセンスがある」と高く評価。その上で「まだ体が細いので、まず体力をつけることが先決」と体力アップを求めている。

 日本はリオ・パラでオアー監督率いるカナダを破って銅メダルを獲得しており、実力的には十分金メダルを狙える位置にいる。現在チームは米国遠征中で、帰国後の25日から千葉ポートアリーナで開催されるジャパンパラ大会で倉橋ら新戦力が国内デビューする。

 【略歴】
 ☆生まれ 1990年(平2)9月15日、兵庫県神戸市生まれ。
 ☆経歴 小学1年、須磨ジュニア体操クラブで体操を始め、市立須磨高(現須磨翔風高)まで体操選手。文教大進学後、トランポリンを始めた。11年に頸髄損傷後、14年に大学に復学。16年4月に商船三井に入社し、現在は人事部に所属。車いすラグビーは13年10月からで、現在はBLITZでプレー。
 ☆趣味 ドライブ
 ☆家族 両親と姉、妹。

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