高橋慶帆 単独インタビュー 五輪へ進化中 初A代表でレベルの差痛感 それでも「夢に近づいた」

[ 2024年1月1日 05:00 ]

2024年の活躍を誓う高橋慶帆(撮影・小海途 良幹)
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 バレーボール男子日本代表の高橋慶帆(20=ジェイテクト)がスポニチの単独インタビューに答えた。「龍神NIPPON」は昨秋のパリ五輪予選を16年ぶりに自力突破。今夏の本大会では52年ぶりのメダル獲得の期待が膨らむ。イラン人の父と日本人の母を持つ高橋は、法大2年在学中ながらVリーグ1部ジェイテクトでプレーするオポジット(セッターの対角に入る攻撃的選手)。高い身体能力と端正なマスクを備える新星は五輪メンバー入りを目指し進化を続ける。(取材・構成 福永 稔彦)

 「濃い1年間だった」。飛躍を遂げた23年を高橋はそう振り返る。前年U―20代表入りしたオポジットは初めて日本代表に選出。フィリップ・ブラン監督から指導も受けた。

 「ブラン監督にはスパイクの打ち方を教わり、戦術理解も高まった。海外でも通じる自分の武器をつくれた」

 武器とはブロックだ。1メートル94で長い手足と跳躍力を備え、最高到達点は3メートル57(ブロックは3メートル25)。高校時代からブロックには自信があったが、レシーバーと連係すれば効果が増すことも実感した。

 A代表の下のカテゴリーで若手中心のB代表が主戦場だった。5月の中国戦でデビュー。9月のアジア大会ではチーム最多113得点をマークして銅メダル獲得に貢献した。

 「アジア大会は良い場面で使ってもらった。難しいボールは他の選手が処理して、自分は簡単なことしかやっていない。ハイボールやCパスになった時(レシーブが乱れた場面)の速いトスは打ち切れなかった。手応えもあるけど課題もある」

 国際大会の経験を積んだ一方で、ネーションズリーグ、アジア選手権、パリ五輪予選のメンバーには入れなかった。A代表とのレベルの差も痛感した。

 「A代表のバレーを見ると、自分に足りないものが分かる。同じオポジットの宮浦(健人)選手、西田(有志)選手はサーブもスパイクも素晴らしい。ジャンプサーブは(2人の)一番の武器だと思うし、スパイクのバリエーション、コースの幅、点の取り方も自分には足りていない」

 パリ五輪出場を決めたスロベニア戦はテレビ観戦した。

 「代表を経験して日の丸を背負う重さが分かった。プレッシャーがのしかかる中、(2戦目の)エジプト戦で悔しい負け方(2―0から逆転負け)をしたのに立て直し、その後(4試合)ストレートで勝ち続けて切符を取ったのは凄い。バレーボールは流れのスポーツ。悪い局面は必ず来るので、そこでいかに我慢できるか。その大切さを改めて学んだ」

 今年はA代表に入りパリ五輪出場を目指す。そのために昨年末、ジェイテクトに合流した。4年生以外の大学生の入団はチーム初、Vリーグでも異例だ。

 「インカレ(全日本大学選手権)が終わると試合がなく、練習もあまりできなくなる。その環境を変えたいと思っていた。A代表に食い込むためジェイテクト入団を決めた。課題は全部。まず個人技を磨かないとA代表ではやっていけない」

 ジェイテクトにはA代表のセッター関田誠大がいる。日本の司令塔とプレーできるのは願ってもない環境だ。

 「日本を支えているセッター。そういう選手にトスで上げてもらえる。学ぶこともたくさんあると思うので、積極的にコミュニケーションを取りたい」

 Vリーグ終了までジェイテクトでプレー。その後、代表活動が始まる。ブラン監督は5月開幕のネーションズリーグで若手を起用する方針。下克上のチャンスだ。

 「食い込んでいけるように今自分ができることをやる」

 小学生時代から打ち込んだサッカーを膝痛で断念し、バレーボールを始めたのが中学2年の時。わずか6年で五輪の大舞台が見える位置に立った。

 「アスリートなら誰もが目指す場所。五輪に出て活躍することは自分の夢。正直ここまで来られると思っていなかったけど、現実的な夢に近づいたのかな」

 名前の「ケイハン」はペルシャ語で「世界」。24年、高橋慶帆は世界に羽ばたく。


 ◇高橋 慶帆(たかはし・けいはん)2003年(平15)10月13日生まれ、千葉県旭市出身の20歳。イラン人の父と日本人の母を持つ。中学2年時にバレーボールを始めた。習志野高では3年連続春高バレー出場。3年時にインターハイ出場。22年法大に進学。同年U―20日本代表選出。23年日本代表初選出。同年ジェイテクト入り。1メートル94、83キロ。オポジット。

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