バレー男子日本代表・西田有志インタビュー 古賀紗理那と高め合いながら頂点へ

[ 2024年1月1日 06:30 ]

パリ五輪を控える今季への思いを語った西田有志(撮影・北條 貴史)
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 バレーボール男子日本代表は、4大会ぶりに自力で出場権を獲得したパリ五輪で52年ぶりのメダルを狙う。左のエースとしてチームを引っ張るのが、強烈なサーブとスパイクを誇る西田有志(23=パナソニック)だ。本紙の単独インタビューに応じ、昨季からの歩みや女子日本代表で主将を務める妻・古賀紗理那(27=NEC)の存在、自身2度目となる大舞台への思いを語った。

 淡々とした口ぶりでも、今年に懸ける意気込みが伝わってくる。7位に終わった東京五輪から3年。主力として戦い続ける西田にとって、同じ舞台でリベンジする時が来た。

 「Vリーグで優勝するのが、まず一つ(の目標)。日本代表では、五輪で絶対にメダルは獲りたい。そこまでしっかり努力しないといけないし、全員が同じモチベーションを持って、いろんなものを懸けている。結果を出して、報われるようにしたい」

 身長1メートル87のサウスポー。決して大柄ではないが、3メートル50の最高到達点から強烈なサーブやスパイクを打ち込む。日本が誇る左のエースは、浮き沈みの激しい一年を経て進化した。

 21年10月頃から原因不明の体調不良に苦しみ、年が変わっても状態は戻らなかった。6~7月のネーションズリーグは腰痛で本来の力を出せず、当時を「心と体のギャップに耐えられない時間だった」と振り返る。

 光が見えたのは、昨年8月のアジア選手権。プレーを続ける中で持ち味を再確認し、コンディションの回復とともに徐々に気持ちが吹っ切れた。9~10月の五輪予選は7試合中3試合でチーム最多得点をマーク。4大会ぶりとなる自力での出場権獲得に貢献した。

 「今の日本代表は、日本のチームという感じではなく、海外のような自由さがある。自由の中に繊細さがあって、器用さもある。高さやパワーというよりも、表現を自由にできる選手が多くいる」

 石川祐希や高橋藍らをそろえる龍神NIPPON。西田自身は昨年7月にパナソニックへと移籍した。18歳でプロになると決めてから、ずっと高みを目指してきた中、代表選手がそろうチームへの加入を決めた。「(パナソニックで)自分のギアが入りやすくなった。パフォーマンスが向上して、それを続けやすくもなった」。12月の天皇杯で優勝に貢献し、MVPを獲得。視察に訪れた日本代表のブラン監督からは「これを継続しよう」と現状を高く評価された。

 私生活では、22年の大みそかに古賀紗理那との結婚を公表してから1年がたった。本拠地は妻が神奈川、夫が大阪。遠距離生活が続く中でも「仲、いいっすよ」と笑う。「何の問題もないし、困ったことがあれば助け合う関係。一緒に暮らすようになっても同じだと思う」。西田が移籍先を模索していた時、関東圏のチームに加入する可能性もあった。だが、それは選ばなかった。

 「その選択肢はもちろんあったけど、自分は“トップを狙いたい”という話をした。奥さんも理解してくれて“それはいいと思う”と言ってくれた」

 まだ女子は五輪出場権を獲得してはいないが、大舞台で2人そろって輝く姿を思い描いている。「旅行に行ったりもしたいけど“パリ五輪までしっかり頑張ろう”と(話している)。同じ選手で、同じ目標がある。結果を求めてやりたい」。高め合える存在とともに「メダル」に向かって突き進む。 (西海 康平)

 ◇西田 有志(にしだ・ゆうじ)2000年(平12)1月30日生まれ、三重県いなべ市出身の23歳。姉、兄の影響で5歳からバレーボールを始め、大安中から海星高に進学。U―19日本代表に選出され、卒業後はジェイテクトに加入。18歳で日本代表に初選出される。21~22年シーズンはイタリア1部のセリエAでプレー。23年7月にパナソニックに移籍した。1メートル87、89キロ。左利き。ポジションはオポジット。

 ▽パリ五輪予選 9~10月に日本で開催され、男子は初戦でフィンランドに競り勝ちながら、続くエジプト戦で2―3の逆転負けを喫する。だが、チュニジア、トルコ、セビリア、スロベニアにストレート勝ちを収めて4連勝。4大会ぶりに自力で五輪の出場権を獲得した。女子は開幕5連勝を飾るも、ラスト2試合でトルコとブラジルに連敗して出場権獲得はお預け。パリ五輪出場は残り5枠で、今年のネーションズリーグ1次リーグ終了時(女子は6月17日)の世界ランクで決まる。

 ▽バレーボール男子日本代表 アジア選手権は最多10度の優勝を誇り、五輪は64年東京五輪が初出場で銅メダルを獲得。68年メキシコ五輪で銀メダル、72年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した。その後はメダルから遠ざかっており、08年の北京五輪は11位。その後は2大会連続で出場を逃し、自国開催だった21年の東京五輪は7位だった。チームの愛称は「龍神NIPPON」。

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