五輪銀に導いた女子バスケのホーバス監督、11年間の指導者人生で「1度もやらない」と貫いたこととは?

[ 2021年9月27日 22:37 ]

バスケット男子日本代表のトム・ ホーバス新監督
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 東京五輪でバスケットボール女子日本代表を銀メダルに導き、またバスケットボール男子日本代表の監督に就任したトム・ホーバス氏(54=米国)が27日放送の日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」(月曜後9・00)にVTR出演。指導者として「1度もやらない」と貫いたことについて語る場面があった。

 ホーバス氏がバスケと出会ったのは5歳、そこからNBAの選手になるという思いを胸に、高校ではコロラド州のMVPを獲得するなどの実績を上げた。しかし、トライアウトに挑戦したものの、不合格。22歳でポルトガルに渡ったのち、23歳で実業団チームから声がかかり初来日したという。

 来日してからは4年連続得点王と大活躍、そして28歳のときに逆輸入のかたちで念願だったNBA選手になった。その後は、プロコーチの道を探るも声がかからず、子ども2人と、妻を養うためアメリカのIT会社に就職した。ただ、「最初はマーケティング部に入って、副社長になった」と、その分野でも実力を発揮した。

 その後もバスケへの熱は冷めることがなく、子どもたちのチームでコーチをしていたところ、日本の女子社会人チームへのオファーが。10年に単身で日本に再来日し、指導者としてのキャリアがスタートした。そして17年には、女子日本代表のヘッドコーチに就任した。

 最初は「日本の中で力があっても、世界で通用するとは信じてなかった。そこはちょっと足りないと思っていた」という。当時、日本は五輪出場経験が4回しかなく、強豪国との体格差も明らか。しかし、記者会見で「金メダルを獲りたい、絶対にチャンスがある」と宣言していた。

 「高い目標がなかったら、そこまで行かないんですよ。だから『金メダル』と4年前に言ったんです。口に出すのは本当に必要だけど、口だけはダメ。僕は心から信じた」と語ったホーバス氏。そして、世界一厳しいとも言われる練習を選手に課し、わずか4年で史上初の銀メダルへと導いた。

 「みんながメダルをもらったときに、嬉しそうな顔を見てすごかった。プラウドファーザー(誇らしいお父さんの気分)だった。“12人の娘”がメダルをもらったような気持ちだった。一緒に長い間居て、厳しい練習をやって、少しずつプレーのレベルが上がって、いいチームになった」と、感慨深げに語った。

 そんな、ホーバス氏が指導者として「1度もやらない」と貫いたことを明かす。それは、通訳を付けること。「コミュニケーションは声だけじゃない。ボディランゲージだったり、言葉を間違えても僕の気持ちはわかると思う。練習中もボディランゲージをよく見てます」と、日本人以上に意思疎通が取れることを熱弁していた。

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2021年9月27日のニュース