追悼連載~「コービー激動の41年」その38 まさかの大事件 チームに衝撃走る!

[ 2020年3月25日 08:00 ]

2003年にレイカーズに移籍してきたペイトン(左)とマローン(AP)
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 プレーオフ西地区準決勝でスパーズに敗れた2003年の夏。新たなシーズンが始まる前、レイカーズは動いた。フィル・ジャクソン監督にとっては契約の最終年。ジェリー・バス・オーナーを中心とする球団首脳は、その指揮官のために2人の大物選手を連れてくる。それがスーパーソニックス(現サンダー)で長年にわたって大黒柱として活躍したガードのゲイリー・ペイトンと、ジャズの屋台骨をジョン・ストックトンとともに支えたフォワードのカール・マローン。このときペイトンは35歳でマローンは40歳。すでに選手としては黄昏(たそがれ)を迎えていたが、2人にはまだチャンピオン・リングが1つもなかった。レイカーズで優勝して有終の美を飾りたい…。その思いを両者ともに抱いていたと思う。

 その他の補強を含めて、リベンジのかかるシーズンは順調に幕を開けるかのように思えた。そこにフロントの雄、ジェリー・ウエストの後継者となっていたミッチ・カプチャクGMが、ノースダコタ州ウィリストンに滞在していたジャクソンに電話をかけてきた。「信じてはもらえないかもしれませんが、大変なことが起こってしまいました」。ジャクソン自身が語る「黒い雲が覆いかぶさったままのシーズン」がここから始まったのだ。

 日本時間で言うと2003年7月7日の月曜日の出来事だった。今でも私はこの日のことをよく覚えている。出社してAP通信社の専用端末に入ってくる記事をのぞいていたら「URGENT(緊急電)」という文字が目に飛び込んできた。記事の種別を示すアルファベット3文字の記号はBKN。それはプロのバスケットボール関連、つまりNBAのニュースを意味していた。一報にさっと目を通す。「Arrested(逮捕)」という単語がそこにある。事件発生は7月1日。メディアに漏れるまで6日を要しているが、その時間差が逆に事件の大きさを物語っていた。できれば関係者は隠ぺいしたかったのだろう。

 記事の発信場所はコロラド州デンバーだが、事件現場となったのはそこから西に100キロ離れたエドワーズ。カプチャクGMが「信じてもらえないかもしれませんが」と前置きしたのはよくわかる。寝耳に水。最大級の衝撃がレイカーズを襲った1日だった。

 「コービー(ブライアント)が逮捕されました」。カプチャクGMは絶叫気味だったという。そしてこれが全米が騒然となったブライアントによる“性的暴行事件”の始まりである。

 事件の経過はこうだ。まずブライアントはリチャード・ステッドマン医師による膝の手術を受けるために6月30日、リゾート地でもあるコロラド州イーグル郡エドワーズのホテルにチェックイン。手術は7月2日に予定されていた。そのホテルのフロントに勤務していた19歳の女性が「ブライアントに暴行された」と地元の警察に通報したのが7月1日。2日に郡当局はブライアントを事情聴取し、4日に逮捕状を請求(正式起訴は18日)した。いったんロサンゼルスに戻っていたブライアントは再びエドワーズにUターン。逮捕されたあとに2万5000ドルの保釈金を支払って拘置所行きを免れている。そして同じ日にブライアントはバネッサ夫人とともに記者会見を開き、涙を流しながらチームとファンに迷惑をかけたことを謝罪。有罪ならば無期懲役になる可能性もあったので、決して軽微な事件ではなかった。

 ここからエドワーズの裁判所で審問が繰り返される。まずブライアントは「合意の上の行為だった」と性的暴行を全面的に否定。裁判になれば争う構えを見せた。そして弁護団は、被害者とされた19歳の女性の隠された事実?を次々に暴いていった。ここではあえてその詳細は記さないが、陪審員の心象をブライアントに有利に働くような訴えを繰り返した。9月1日。ついにイーグル郡地裁のテリー・ラックリーグル判事はブライアントの不起訴を決定。しかしブライアント本人だけでなく、チームへのダメージは予想以上に大きかった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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