ジョセフHCと同い年の藤井強化委員長、日本の快進撃支える「アンサンヒーロー」

[ 2019年10月8日 14:06 ]

会見するラグビー日本代表・藤井強化委員長(撮影・西尾 大助)
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 定刻より、たった6分早く始まった会見。登壇したその人物は、「ちょっと、早いんですけども、ジェミーが早く、出たいということなので…」。語尾がぼそぼそっとなり、少し聞き取りづらかったが、要するにサモア戦から1日遅れの祝杯を早く挙げに出かけたい、ということのようだった。

 日本代表のジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)を、物心両面で支える日本協会の藤井雄一郎強化委員長(50)。冒頭のカギ括弧にある「ジェミー」は誤字ではない。95年や99年、指揮官が選手としてW杯に出場した際の古い新聞を開くと、弊紙でも「ジェミー・ジョセフ」と表記されている。当時から付き合いのある人間の多くは、今も「ジェミー」と呼んでいる。

 天理、名城大からニコニコドーのラグビー部に入部し、廃部に伴い藤井氏がサニックス(現宗像サニックス)に移籍したのは99年。95年のW杯では母国ニュージーランド代表として準優勝を果たした、いわばラグビーエリートのジョセフHCとは大きく足跡が異なっていたものの、同じ1969年生まれの2人はすぐに馬が合ったという。昨年2月、サンウルブズが藤井氏を「キャンペーンディレクター」なる聞き慣れない肩書で招へいしたのは、同年ヘッドコーチを兼任したジョセフHCの強い要望があってのこと。W杯真っただ中の今も、指揮官を支えている。

 16年秋の日本代表ヘッドコーチ就任後、しばらく選手との間で生じていた軋轢(あつれき)に潤滑油をさしたのが、藤井強化委員長だった。17年春まで共同主将を務めていたフッカー堀江も「藤井さんじゃないですか。(コーチ)スタッフと選手の間を取り持ってくれたの大きい」と振り返っている。それ以前のジョセフHCはとげとげしい言葉をいとわず、特に主力やベテランには容赦ない言葉を浴びせていた。

 18年4月、サンウルブズがホーム秩父宮でブルーズに敗れた試合後、ジョセフHCは「タックルできない選手は替えざるを得ない」と厳しい言葉を吐き捨てている。糾弾の矛先が、2本連続で失ったトライで最後に抜かれたFB松島に向いているのは明らかだった。どんな言葉をどんなタイミングで掛けるか、そしてどんな伝達方法を使うかは、人それぞれ。したがって、あえて公となる会見で発せられたその言葉に、少々びっくりしたのを記憶している。松島はその後のミックスゾーンで、「(交代は)何でだろうと思った。何かが気にくわなかったのか」と首をひねった。今振り返れば、最も選手との関係がこじれた時期だった。

 藤井氏はその後、東京都内に日本人選手だけを集め、食事会を開いている。選手にため込んでいるものをはき出させ、ジョセフHCの思いを伝えた上で、同い年の盟友にもフィードバックした。同年9月、和歌山で行われた4日間の短期合宿。主将のリーチも「ガラッと変わりました」とジョセフHCの変化を認めている。

 アンサンヒーロー(UNSUNG HEROES)。縁の下の力持ち。そんな言葉がしっくりくる強化委員長の存在が、日本代表の快進撃を支えている。(阿部 令)

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2019年10月8日のニュース