38年前にNBAドラフト指名受けた岡山恭崇氏 八村塁に「先駆者として活躍して」

[ 2019年6月22日 09:00 ]

38年前にNBAでドラフト指名を受けた岡山恭崇さん
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 【日本人初NBAドラフト入団 八村塁TIP OFF(上)】日本人初のNBAドラフト1巡目指名を受けた八村塁にまつわるトピックを3回連載する。第1回は38年前にドラフト指名を受けた岡山恭崇氏(64)が快挙を成し遂げた後輩にエールを送った。

 2メートル30の超大型センターとして日本代表で活躍した岡山さんもこの日を心待ちにしていた。

 「もう38年前ですから。興奮しますよ。僕は名前だけですから。うれしいですよ」

 岡山さんが指名されたのは1981年、実業団の住友金属に所属していた26歳の時。当時は指名が10巡目まであり、ウォリアーズの8巡目、全体171位だった。岡山さんには事前にチームから打診はなく、突然の出来事だった。

 ウォリアーズのスタッフには、以前日本代表の技術顧問を務めていたピート・ニューウェル氏がいた。「デカかったので、一度呼んで見てみようと考えたんだと思う」。だが、住友金属からは交渉を禁止され、キャンプに合流することすらなかった。「国際ゲームでプレーできなくなったらまずいから、余計なことをするな、と」。五輪のバスケットボールでプロの出場が認められるようになったのは92年バルセロナから。NBA入りは五輪断念を意味した。日本代表の中心選手だった岡山さんのNBA挑戦が許される状況ではなかった。「NBAは雲の上の存在で、向こうでプレーするなんて考えられなかった。あとで分かったことだけれど8巡目はほぼノーチャンス。キャンプに参加したとしても契約に至ることはなかったと思います」と振り返る。

 岡山さんは八村の取り組む姿勢を高く評価する。八村は昨年もドラフト候補として名前が挙がったが、もう1年大学でプレーする道を選んだ。「3年生に残って、結果を出してプロになる。自分で目標を立てて、どうすればそこに行けるかを考えている。意識が高い」。自身は3度五輪予選に挑んだが、出場はかなわなかった。八村ら日本代表は来年の東京五輪の出場国枠を勝ち取った。「八村君には先駆者としてNBAで活躍してほしい。五輪も楽しみです」と期待は大きい。

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2019年6月22日のニュース