“ヒーロー”平尾氏が変えたイメージ 「3K」から「美しいラグビー」に

[ 2016年10月21日 08:12 ]

平尾誠二さん死去

スコットランドを破る大金星を挙げ、宿沢監督(左)と握手する平尾氏
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 所属チーム全てで栄冠を手にした平尾氏だが、特筆すべきは「全員でボールをつなぎ、ピッチを広く使うラグビー」で神戸製鋼の黄金期を築いたことだ。FW、バックスがそれぞれの仕事に専念していた時代に、その後の世界の主流となった戦い方を実践。「エンジョイ」を体現しながら勝つというスポーツの理想型で支持を集め、「3K」(きつい、汚い、危険)が代名詞だったラグビーのイメージを変えた。

 平尾氏は「自分たちが楽しいラグビーをしただけ」と話すが、元U―23日本代表監督でスポニチ本紙評論家の砂村光信氏は「自分で行くだけではなく、広い視野を持ち、周りに指示を出して動かせる平尾がいたから可能だった」と分析する。学生選抜で砂村氏がSO、平尾氏がCTBでプレーした際も「前が空いている、次はこっちへ攻めるなど後ろでリードする声が凄く、楽だった」という。神鋼では周囲の選手にも判断力が求められ、個々が考えてプレーした結果が、見ていて楽しい、美しいラグビーにつながった。

 常に淡々としていた平尾氏だが、話すと人を引きつける魅力があったと砂村氏は明かす。「決まり切った答えではなく、違う考え方を示してくる。それがさまざまなジャンルにファンがいる要因ではないか」。ラグビー以外の勉強にも熱心で、神鋼GM時代には出張先で中国文学を読む姿を見たという。砂村氏は「女性に人気があった本城(和彦、早大―サントリー)がアイドルなら、平尾はヒーロー」と表現した。

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2016年10月21日のニュース