渡嘉敷来夢 女子代表史上、唯一のダンクシューター…先輩の涙で覚醒

[ 2016年4月27日 12:30 ]

バスケットボール日本代表・渡嘉敷来夢

「カウントダウンリオ」バスケットボール女子・渡嘉敷来夢(1)

 27日でリオデジャネイロ五輪まで、あと100日。五輪での活躍が期待される選手に迫る大型企画「カウントダウンリオ」第1回はバスケットボール女子のエース渡嘉敷来夢(24=JX―ENEOS)の「負けたから今がある」。「50年に一人」といわれる天才は、先輩たちが流した涙で覚醒した。

 やり場のない感情が1メートル93のホープを突き動かした。12年7月1日。トルコ・アンカラでの12年ロンドン五輪世界最終予選、最終日。世界ランキング15位の日本は残り1枚の五輪切符を懸けて、同11位のカナダと対戦した。開始3分で0―11とリードを奪われたが、エース大神やセンター間宮のシュートで差を詰め、前半を31―37で折り返した。しかし、後半はカナダの外からのシュートに対応できず、得点差を埋めることができない。63―71で敗戦。日本に残った渡嘉敷は千葉県柏市内の寮でテレビ観戦していたが、手で顔を覆う同じ実業団の先輩の姿に「自分はここで何をしているんだろう」と悔し涙を流した。

 さかのぼること半年。12年1月23日に渡嘉敷は大きな決断を下した。11年夏から右足首に痛みがあり、薬を服用してプレーを続けていたが、リーグ序盤の秋に医師から「シーズンは持たない」と通告され、患部にボルトを入れる手術を行った。それは、世界最終予選の欠場を意味していたが、その時はまだ、五輪は「出る」より「見る」もの。手術を決めた時は「治れば100%のプレーができるから、正直ホッとした」という。ただ、夢散る日本代表の光景に心は打たれ「五輪に行きたいという気持ちが、初めて芽生えた」と眠っていた魂を呼び起こされた。

 チームは10年の渡嘉敷入団と同時に、日本リーグで5度得点王に輝いた元NBA選手のトム・ホーバス氏(米国)をコーチに招へい。初めて世界大会に出場した1964年以来、50年ほどの女子日本代表の歴史上、唯一のダンクシューターという過去に例のない才能を持つ渡嘉敷のため、当時の内海知秀監督はホーバス氏に「得点能力と技術的な部分、さらに精神的な部分」の底上げを求めた。ホーバス氏は遠慮がちにプレーしていた渡嘉敷に、シュートが決まらなくても「僕は信じている」と言葉を掛け続けることで積極性を呼び起こした。

 ◆渡嘉敷 来夢(とかしき・らむ)1991年(平3)6月11日、埼玉県春日部市出身の24歳。桜花学園高2年の08年に史上最年少の16歳で日本代表候補に選出される。10年にJX―ENEOSに入団。1年目の10―11年シーズンにWリーグ史上初となるルーキーオブザイヤーとレギュラーシーズンMVPに輝く。15年に米プロリーグWNBAシアトル・ストーム入団。1メートル93、85キロ。

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