岡崎 笑顔で引退 出産乗り越えた42歳「おなかいっぱい」

[ 2013年12月29日 05:30 ]

長野五輪で銅メダルを獲得した思い出の地・エムウェーブで観客の声援に応える岡崎

スピードスケート ソチ五輪代表選考会第2日

(12月28日 長野市エムウエーブ)
 女子500メートルが行われ、6大会連続で五輪出場を目指した42歳の岡崎朋美(富士急)は1分19秒15(39秒55、39秒60)で6位となり、現役引退を表明した。優勝は小平奈緒(27=相沢病院)で1分16秒38(38秒21、38秒17)だった。男子5000メートルでは18歳のウィリアムソン師円(しぇーん、山形中央高)が6分34秒54で制し、男子では92年アルベールビル五輪の白幡圭史ら以来となる高校生での五輪代表入りを確実にした。

 ママでの五輪は夢に終わった。レース後は夫の実家に預けていた3歳の長女・杏珠(あんじゅ)ちゃんと約2カ月ぶりに再会して笑顔で記念撮影した。6大会連続の五輪出場は逃した岡崎だが、最後は「(周囲に)おばちゃんの涙は見たくないと言われたので」と“朋美スマイル”でリンクを一周。「やるべきことはやり終えたかな。小学4年からずっとスピードスケートをやってきて、もうおなかいっぱい」と現役引退の意向を示した。

 42歳。出産で落ちた筋力は戻らなかった。1本目10秒68、2本目10秒72と全盛期には10秒50前後だった100メートルのスタートダッシュは鳴りを潜め「後半の伸びもいまいちだった」と認めた。4位が五輪への最低条件という状況で1本目は6位。2本目もタイムは伸びず6位に終わり、長田照正コーチは「出産して股関節、膝が曲げられず腰が高くなった。修正できなかった」と悔やんだ。

 「誰もやったことがないことをしたい」。10年12月に出産し、日本では前例のないママスケーターに挑戦。11年に競技に復帰した。今季は子供と二人三脚の道を選び、海外遠征にも帯同させた。だが、10月の全日本距離別選手権は6位でW杯前半戦の代表入りを逃し、夫の安武宏倫さんから子供と離れることを提案された。一晩悩んで競技一本に絞ったが、6度目の五輪には届かなかった。

 レース後、杏珠ちゃんが「ママは頑張った」と話していたことを聞かされ「ありがたいですね」と母の顔に戻った。「岡崎朋美を育ててくれたスケートには感謝しかない。最善は尽くせたかな。これからは彼女(長女)を支えたい」。98年長野五輪女子500メートル銅メダル獲得など華麗なスケート人生に笑顔で幕を下ろし、今後は母として人生の金メダルを目指す。

 ▼日本スケート連盟・橋本聖子会長 (岡崎は)精いっぱい彼女らしさを見せながら頑張ってくれた。五輪を一つの区切りとした爽やかさがあった。

 ◆岡崎 朋美(おかざき・ともみ)1971年(昭46)9月7日、北海道清里町出身の42歳。小4からスケートを始め、清里中、釧路星園高を経て、名門・富士急に入社。社会人4年目で94年リレハンメル五輪に初出場。98年長野五輪で銅メダルを獲得。10年バンクーバー五輪まで5大会連続出場して、日本女子としてはモーグルの里谷多英と並び最多。1メートル63。

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