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ドーハの悲劇の戦友・柱谷哲二氏がエール 森保流ぶれない精神でW杯8強から欧州挑戦期待

[ 2022年8月24日 04:30 ]

柱谷哲二氏
Photo By スポニチ

 23日に54歳の誕生日を迎えた日本代表の森保一監督が、選手時代に注目されたのは92年にオフトジャパンで日本代表に初招集された時だった。当時、代表主将で合宿などで同室だった元日本代表DFの柱谷哲二氏(58=花巻東高サッカー部テクニカルアドバイザー)が30年前を振り返りながら、ともにドーハの悲劇を経験した“戦友”に大きな期待とエールを寄せた。

 オフトジャパンで柱谷は森保と常に宿舎で同室。“ドーハの悲劇”の夜も一緒だった。94年W杯米国大会最終予選。勝てば本大会初出場が決まった最終イラク戦で、日本は2―1で迎えた後半アディショナルタイムに悪夢の同点ゴールを許して2―2で引き分け。あと十数秒で夢破れた直後の森保の様子を、柱谷はよく覚えていた。

 「イラク戦の後、部屋に戻った森保は珍しく取り乱していた。僕の後から入ってきて、そのまんまベッドにうつぶせにダイブしてすすり泣きしていた。みんな思いを持ち、いろいろなものを背負っていた」

 森保が初めて日本代表に選出されたのは92年6月のキリン杯。当時は“無名の存在”だった。

 「初めて会ったのはその直前の5月下旬の浜名湖合宿。どんなプレーをするのかも知らなかったし、名前も“何て読むんだ、モリ・ホイチか”と、みんなで言っていた。体も大きくないし、フィジカルが強いわけでもない。練習をしても目立たない。でも、ゲーム形式では止める、蹴るがしっかりしていたし、忠実にやる選手だというのは分かった」

 柱谷はセンターバック(CB)。1列前でボランチを務める森保と一緒にプレーして、その才能を実感したという。

 「僕と井原(正巳)がCBをやっていて“何で楽なんだろう”と思った。森保は頭の中でイメージが描けるクレバーな選手。ポジションの修正が早く、ボールが動くたびに修正してくれるので、相手が奇麗にくさび(のパス)を入れられない。アンテナが張れる、ベストなポジションを探せる選手だった」

 森保は普段は物静かだが、意志は強いと選手時代から言われていた。

 「いつもにこにこしていたのが印象的。言葉でちょっとスパイスを入れる感じ。普段は部屋ではおとなしく、本を読んだり音楽を聴いていた。英語のヒアリングの勉強をしていて、外国へ行ったら英語で答えていた。リラックスルームで福田(正博)と遊んでいることが多く、中山(雅史)、井原も交えてわいわいやっていた。意志は強く、試合中は(司令塔の)ラモス(瑠偉)さんがパスをくれと言っても出さない。オフトに“外側に出せ”と言われているからで、一徹だった」

 森保は03年の現役引退後、年代別日本代表、広島、新潟のコーチを経て12年から広島監督に就任。4年間で3度J1優勝を飾り、5年目の17年7月に退任した。同年の10月から東京五輪に出場するU―23日本代表監督に就任。柱谷は指導者・森保をどう見るのか。

 「自分が歩む道を逆算している。一段一段、10年後のことを考えているように見える。広島ではペトロヴィッチ監督がつくったものにディフェンスをアレンジした。やりたいサッカーがあってもプロは勝たなきゃいけない。がらりと変えて“自分のはこうだ”というのではなく、いいものはしっかり残し、足りないものを植え付けた。日本代表でも一緒、慎重で冒険はしない。周りに言われてもぶれることはない」

 W杯カタール大会最終予選は初戦でオマーンに0―1で敗れ、第2戦で中国に勝ったものの第3戦でサウジアラビアに0―1で敗れ、苦しいスタートで解任危機に直面した。

 「(日本サッカー)協会に話をしに行ったと聞いたが、協会から“行け”と続投を要請されて森保も腹をくくったのだろう。ぶれない。だから世間が“三笘がいい”と言っても、頭から使わない」

 J1から高校年代まで指導歴が豊富な柱谷は、森保監督の参謀役、横内昭展コーチ(54)に注目している。

 「横内コーチの存在が大きい。参謀もしっかりしていて勝つためにどうすればいいか話ができている。一人だと“三笘を頭から(使う)”と思うこともあるかもしれないが、周りに止められる。監督には優秀なヘッドコーチが必要で、一人では絶対に見きれない。あの2人はいっぱい“バトル”していると思うし、お互いに信頼していると思う」

 いよいよ11月20日にW杯カタール大会が開幕する。柱谷は森保監督に日本史上最高のベスト8進出という目標を達成した上で、“海外挑戦”を期待している。

 「ベスト8という目標は必ず達成してほしい。五輪と両方(監督を務めるのは)はトルシエ以来。ドーハ組から新しい歴史をつくってもらいたいし、悔しい思いをカタールに行って晴らしてほしい。ポイチの集大成、思い切ってやってもらいたい。そして森保自身もステップアップして、海外から認められてヨーロッパで監督をやってもらいたい」=敬称略=

 ◇柱谷 哲二(はしらたに・てつじ)1964年(昭39)7月15日生まれ、京都市出身の58歳。京都商(現京都先端科学大付)、国士舘大を経て87年に日産自動車(現J1横浜)入り。Jリーグ設立時の92年にV川崎(現J2東京V)へ。DF、MFとして活躍し、日本代表では主将を務めた。引退後は札幌、東京V、水戸、鳥取、北九州などで監督を歴任。現在はJリーグ選手OB会会長、花巻東高サッカー部テクニカルアドバイザー。元日本代表FWの柱谷幸一氏(61)は実兄。

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