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ミスター・トリニータ高松が引退「自分の思うプレーが…」

[ 2016年11月10日 05:30 ]

引退会見で目をうるませる元日本代表FW高松

 ミスター・トリニータがユニホームを脱ぐ。元日本代表で04年アテネ五輪代表のFW高松大樹(35)が9日、大分市の大分フットボールクラブで引退会見した。2000年に入団し、11年を除き、サッカー人生を大分とともに歩んだストライカー。リーグ戦通算364試合、75得点(11月9日現在)。13日のホーム最終戦、YS横浜戦でサポーターに報告する。

 思いがあふれた。すがすがしい表情で会見に臨んだ高松だが、すぐに言葉に詰まった。競技人生に思いを巡らせ、数瞬ののち「…引退することを決意しました」と言葉を絞り出した。天を仰いでも涙をこらえきれない。時折、ハンカチで目頭を押さえて言葉をつないだ。

 「ここ数年はケガが多く、自分の思うプレーができなかった。J3に落ちたのも自分の責任。引退を決意したのは何カ月か前。今年はラスト1年の気持ちでやっていた」

 アスリートの避けられない運命。肉体の衰え、ケガとの闘い。“こんなはずじゃない”“もっとできるはずだ”と必死にあらがった。「引退」の2文字が脳裏にちらつく状況で臨んだ今季は7試合に出場し、1得点。もう潮時だった。

 04年にはアテネ五輪に出場し、06、07年には日本代表にも選出された。「あの経験がなかったら今の自分はない」。08年にはチームをナビスコ杯優勝に導き、MVPを獲得。「大分でタイトルを取りたかった。ナビスコ杯優勝が一番の思い出。一つの夢はかなえられた」。懐かしい思い出が苦難の始まりでもあった。09年にチームはJ2へ降格。経営難に陥り、多くの選手が放出された。不本意ながらチームを去らざるを得なかったメンバーの思いも背負った。

 「J2に落ちて、悔しくて何も考えられない時期があった。出ていきたいと思って出ていった選手はいなかったと思う。自分はそいつらの分もJ1に上げてやろうと思って、やっていた」

 12年にプレーオフを制してJ1昇格。だが1年で再びJ2降格。昨季はついにJ3へ降格した。サポーターへの置き土産は1年でのJ2復帰だ。チームは現在2位。残り2試合で自動昇格の逆転Vもあり得る。「監督を男にして、J2に上げたい。監督のサポートできるように準備したい」。17年間、大分とともに走り続けた35歳の“大分愛”が、J2昇格に導く。

 ◆高松 大樹(たかまつ・だいき)1981年(昭56)9月8日、山口県出身の35歳。小3でサッカーを始め、多々良学園高(現高川学園)に進学。99年はJ1広島の特別指定選手(当時強化指定選手)として登録。00年にJ2大分に入団。11年にレンタル移籍したFC東京を除き、16シーズン大分に在籍。04年U―23日本代表としてアテネ五輪に出場。06、07年に日本代表に選出され、国際Aマッチ出場は2試合。1メートル83、80キロ。

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2016年11月10日のニュース