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手倉森浩氏「生きがい」復興特任コーチで子供たちに笑顔を

[ 2016年3月11日 08:36 ]

復興支援に力を注ぐ手倉森浩氏。色紙には「東北愛」と記した

 震災から5年、日本協会ナショナルトレセンコーチ東北チーフの手倉森浩氏(48)は今年1月までの3年間、復興特任コーチとして被災地のスポーツ少年団を中心に支援活動を続けてきた。

 最初に向かったのは甚大な津波被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)小だ。「グラウンドがない」と子供たち。早速、がれきだらけのピッチを元通りにしようと働きかけた。だが待っていたのは「津波のあった場所で子供にサッカーはさせられない」という保護者からの反発だ。

 手倉森氏はあらためて1人で沿岸部を回ったという。多くの遺体も目にしてきた消防士から「お前に何ができる?」と言われたことも。前任者の加藤久氏に言われた。

 「押しつけや自己満足ではなく要望を待つ。寄り添う形が一番だよ」

 だから閖上小にはその後も通い、寄り添った。2年目、今度は保護者から声がかかった。「ピッチを使えるようにしよう」。必死にがれきを撤去した。「やはり行動を起こすことが大事」。3年間で500回以上、スポーツ少年団を中心に足を運んだ。どこでも子供が笑顔になれば見守る大人も笑顔になった。

 1月末、復興特任コーチは任期が満了。すると被災地から日本協会には「手倉森を辞めさせないで」との声が相次いだ。「うれしかった。新たな要望があれば連絡してほしい。生きがいです」

 仙台在住の手倉森氏も被災者。“2時46分”は所用で山形にいた。仙台市内のビルにいた夫人からの電話は「本棚が倒れて死にそう…」と聞こえた瞬間に途絶えた。互いに無事だったが、約1週間自宅に戻れなかった。

 双子の兄・誠氏はU―23日本代表を指揮。「誠はリオ五輪出場を決め、感動を届けてくれた。自分は被災地に足を運んだ。これからも続けていきたい」。復興支援に終わりはない。今後も被災地に寄り添い続けていく。

 ◆手倉森 浩(てぐらもり・ひろし)1967年(昭42)11月14日生まれ、青森県五戸町出身の48歳。86~92年は住友金属鹿島(現鹿島)でFWとしてプレー、山形を経て97年引退。その後、仙台、山形でヘッドコーチを歴任。13~16年1月まで日本協会の復興特任コーチ。双子の兄・誠氏はU―23日本代表監督。1メートル70、70キロ。

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2016年3月11日のニュース