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サッカー辞めたい…“戦力外通告”が転機になった闘莉王

[ 2010年5月31日 06:00 ]

田中マルクス闘莉王の渋谷幕張高時代の恩師・宗像マルコス望監督

 【岡田ジャパン 主役たちの素顔】W杯南アフリカ大会で4強進出を目指す岡田ジャパンの守備の要、DF田中マルクス闘莉王(29=名古屋)の心の中にはいつも千葉・渋谷幕張高サッカー部監督・宗像マルコス望さん(51)がいる。16歳でブラジルから日本にサッカー留学した闘莉王にとって日系2世の宗像さんは“日本の父”だ。

 宗像さんが闘莉王を初めて見たのはブラジルで行ったスポーツ留学生セレクション。300人を超える選手の中でも存在は際立っていた。「知らない選手の中でも1人だけ指示を出していた。日本人にはいないリーダーシップを取れる子という印象だった」。強烈な引力で寄せ集めの選手たちを束ねてしまったという。

 ただ、すべての能力が抜きんでていたわけではない。ヘディングも当時は大の苦手だった。ブラジルではよくあるが、子供のころパスをつないでばかりだったためヘディングの基本的技術を学んでいなかった。そこで入学直後から毎日マンツーマンでヘディングを鍛えた。「日本人ならレギュラーになれなくても大学に行けるけど、闘莉王はレギュラーにならないとメシを食っていけないという意識だった」。プロを目指していた闘莉王は苦手だったヘディングを武器に変えた。

 宗像さんによると1度だけサッカーを辞めてブラジルへ帰ろうとしたことがあったという。広島とプロ契約して2年目の02年オフ。外国人枠から漏れて事実上の戦力外通告を受けた。「オレ練習をサボりました?」と電話口で戸惑う教え子を宗像さんは「移籍先は見つかる。日本国籍を取得したら日本代表に入る可能性もある」と説得した。

 03年に日本国籍を取得。日本代表への道を歩み始めたが、宗像さんの説得がなければ今の闘莉王はなかったかもしれない。「(W杯に出場できなかった)06年の分も暴れてきてほしい」と願う恩師の言葉は、闘莉王の胸にしっかりと刻み込まれている。 (2010年5月24日付紙面から)

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2010年5月31日のニュース