菜七子の運命決めた恩師との再会 渡辺教官「最初から違った」

[ 2016年3月1日 05:30 ]

東京競馬場で行われた模擬レース後に記念撮影を行う競馬学校騎手課程32期生と教官たち(前列右端が藤田菜七子、後列右から3人目が渡辺雅也教官)

 JRAで16年ぶり、7人目となる新人女性騎手、藤田菜七子(18)が3日、大注目を集める中、川崎競馬場(中央は5日)でデビューする。騎手を志してから現在に至るまでの道のりをたどり、その素顔に迫る。

 菜七子は両親と2歳下の弟の4人家族。父・稔さん(55)は会社員で、身内に競馬関係者は一人もいない。母・恵子さん(46)によると「小さい頃から活発。弟に空手を習わせようとしたら、菜七子もやりたがった」。空手初段、剣道は2段。ほかには水泳、ピアノ、フラダンスと、やりたいと思うことは習わせてきた。

 競馬と初めて出合ったのは小学6年生。たまたまテレビの競馬中継を目にして、「騎手ってカッコいい」と興味を持った。G1などのビッグレースではない。どの馬が勝ったかも記憶にないほどだが、人馬が一体となってターフを駆け抜ける姿に心をつかまれた。

 間もなく、自宅から車で1時間ほどの美浦トレセン乗馬苑に両親の送迎で通い始める。ここで初めて馬に触れ、背中にまたがった。その時の印象は「馬ってこんなに高くて揺れるんだ」。当時、乗馬苑で指導を行っていた渡辺雅也さん(47)は、こう回顧する。「最初から他の子とちょっと違うな、と。馬を怖がらなかったし、何よりセンスがあった。指導していても同期の子と伸びが違うんです」

 メキメキと腕を上げた菜七子は、本格的に騎手の道を志す。乗馬苑の中でも騎手課程を目指す生徒が属する「ジュニアチーム」へ加入。英才教育を施された。12年、応募153人中、合格者わずか7人の難関を突破して、競馬学校騎手課程に合格した。

 入学すると、異動で乗馬苑を離れていた渡辺さんと再会する。競馬学校の教官に就任していたのだ。同教官は菜七子の学校生活について、「同期の中でも乗馬は好成績を収めていました。一方で、非力だったのでパワーのある馬には力負けしていた」と話す。基本的に男子と同じ授業を受けさせていたが、最後の1年間は菜七子にだけ、追加のフィジカルトレーニングが課された。

 菜七子が学校時代に一番つらかったと話すのがフィジカルトレーニング。同期の男子を肩に乗せてスクワット、バーベルを担いでランニング。負けず嫌いの性格もあって、ほとんど弱音を吐かなかった菜七子だったが、一度だけ「もう辞めたい」と言って自宅に帰ってしまったことがあった。競馬学校1年生の時だった。

 ◆藤田 菜七子(ふじた・ななこ)1997年(平9)8月9日、茨城県生まれの18歳。根本康広厩舎所属。目標の騎手はリサ・オールプレス。1メートル57、46キロ。血液型A。

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