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(1)「今なら勝てる」確信が興毅の背中を押した

[ 2009年11月30日 06:00 ]

9月24日、タイトルマッチ正式決定会見で微妙な距離を置く内藤大助(左)と亀田興毅

 残暑厳しい8月25日。報道各社に1枚のFAXが届いた。内藤、興毅の両陣営と日本ボクシングコミッションの連名で、対戦合意を発表するものだった。その時点で世界戦の日時や会場は未定。両者が対戦することを既成事実にするための異例の発表だった。

 それには訳があった。内藤―興毅戦は昨年末にも実現寸前までこぎつけながら破談に追い込まれた。条件面で決裂したとされたが、両陣営をよく知る関係者は「興毅君に海外のプロモーターからWBA暫定王座決定戦のオファーが持ち込まれ迷ったようだ」と内幕を明かす。ビッグマッチ実現にはリスク覚悟で両陣営が歩み寄ることが不可欠。特に、興毅はデビュー当時から「負けたら終わり」と無敗にこだわり続けていただけに簡単には首を縦に振らなかったはず。興毅の背中を押したのは何だったのか。

 対戦決定後、興毅は「このへんで負けるようじゃあかん」と繰り返した。内藤は5月のV5戦でダウンを奪われるなど薄氷を踏む試合内容に終始。周囲からは年齢による衰えを指摘する声が数多く上がった。王者は35歳2カ月で大一番を迎える。興毅にもライトフライ級王者時代のランダエタ(ベネズエラ)との再戦から3年近くも世界戦の舞台から遠ざかるブランクがある。だが、それを差し引いても内藤には勝てるのではないか。興毅が内藤との対戦を受け入れたのは、そう確信したからにほかならない。

 振り返れば、内藤は32歳10カ月での世界戴冠だった。宮田会長は「内藤の年齢を考えると先はそう長くない。早い段階で興毅君とビッグマッチを実現させてあげたい」と王座奪取直後から実現を望んでいた。内藤も初防衛戦で興毅の弟・大毅を判定で下し一躍、ボクシングの枠を超えた人気者となった。興毅との頂上対決。2年越しのラブコールが最高の舞台で現実のものとなる。(特別取材班) [2009年11月25日付 紙面記事]

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2009年11月30日のニュース