反骨心の塊だった入来智さん 戦力外となった巨人に初めて勝った時にはボールをつぶれるほど握りしめた

[ 2023年2月12日 05:30 ]

入来智さん死去

2001年、巨人戦に初勝利したヤクルト・入来智
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 【悼む】ヤクルトに戦力外通告を受けた02年。年の瀬だった。入来智さんが誰もいない早朝の埼玉・戸田グラウンドにいると聞いて、出向いた。

 午前6時。本当にいて驚いた。それも一人で雄たけびを上げながら、ネットに向かって投げている。何度声をかけても聞こえないほど集中していた。「まだまだやれる自信はある」と意気込みを聞きつつ、ギブアップできない事情も聴いた。前年に離婚した妻への多額の慰謝料だった。当時35歳。翌03年は韓国、04年は台湾でプレーし、37歳で引退した。

 反骨心の塊のような男だった。弟・祐作と同僚になった巨人ではわずか2年で00年オフに戦力外に。巨人担当だった私に「何でクビにしたんだ」と憤った。巨人時代の野球道具は全て宮崎の実家に送ると、新調したグラブに刺しゅうを入れた。「Power up for revenge」。復讐(ふくしゅう)するために力をつける。禁酒も誓った。01年にテスト入団したヤクルトで自己最多の10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。7月11日に巨人に初めて勝った際には、ウイニングボールをつぶれるほど握りしめていた。

 引退後は高校時代に交際していた女性と再会して結婚。地元・宮崎で転職を繰り返していると聞いていたが…。雄たけびを上げて投げる勇ましい姿を思い出している。(元巨人、ヤクルト担当・飯塚 荒太)

 ▼ロッテ・吉井監督(近鉄時代の同僚)残念としか言いようがない。入来とは冗談ばかり言い合う仲だったので、本当に残念です。

 ▼ソフトバンク・的山バッテリーコーチ(近鉄時代の同僚捕手)本当にびっくりしている、言葉にならない。凄くいい投手だった。球の切れやスライダーに特長があって、最初の頃は捕ることができなかった。

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2023年2月12日のニュース