「お前が出てくるか、俺がクビになるか」 高橋慶彦氏、野球人生決めた恩師・古葉竹識さんとの「出会い」

[ 2023年2月10日 12:02 ]

32試合連続安打の日本タイ記録をマークした高橋(左)は古葉竹識監督の祝福を受ける(1979年撮影)
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 広島の黄金期を支え、33試合連続安打の日本記録を保持する高橋慶彦氏(65)が、9日に更新された川藤幸三氏のYouTube「川藤部屋」に出演。恩師である古葉竹識さんとの思い出を語った。

 入団当初は年俸120万円。寮費、用具費などを払うと、手元にはほとんどお金が残らない生活の中、野球をするしかない環境があった。「僕が良かったのはカープに入ったことが第一。次は古葉監督。古葉監督と出会ってなかったら、僕はいない」と縁に感謝する。

 入団してすぐに感じたのが、他の選手と力の差がありすぎて「1年でクビになると思った」。当時はジョー・ルーツ監督で、古葉さんは内野守備走塁コーチ。そんな未来の見えなかった高橋氏に、古葉さんは「慶彦、プロ野球は足だけで飯が食えるんだぞ」と情熱を注ぎ込んで指導してくれた。

 古葉さんが監督になってからも目をかけてもらい、「スイッチするか」と両打への転向を勧められた。「親父」と慕う人からの打診に、必死になってバットを振り、課題の打撃も成長。3年目の77年には1軍での出番も増え「全部、古葉さんのおかげです」と語った。

 本人の努力が土台にあったのは間違いないが、高橋氏は首を振って否定する。「お前が出てくるか、俺がクビになるか、どっちかやぞと言われました。僕より上手な人はたくさんいた。ただ、出会いが悪いとか絶対にある。僕は絶対に出会いが良かっただけ」。覚悟を決めて、信じて使ってくれた古葉さんのおかげで、79年には33試合連続安打の日本記録を樹立するなど台頭した。高橋氏は「古葉さんが大洋に行った。あの時に僕の野球人生は終わったんです」と、しみじみ振り返っていた。

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