オリックス・小林宏2軍監督 95年にバッテリー組んだ中島監督について「故仰木彬さんの姿と重なる」

[ 2022年10月31日 08:00 ]

SMBC日本シリーズ2022第7戦   オリックス5-4ヤクルト ( 2022年10月30日    神宮 )

95年日本シリーズ第4戦、小林宏の14球 空振り三振するオマリー

 立場を変えて“バッテリー”が積年の雪辱を果たした。中嶋聡はマウンド付近で宙を舞った。四半世紀が過ぎ、小林宏=写真=は2人で描いた光景を思い返した。

 ヤクルトとの因縁は深い。昨季日本シリーズで敗れ、95年の頂上決戦でも1勝4敗。神戸で2敗、神宮に移った第3戦も敗れた。崖っ縁に追い込まれた一戦で意地を見せたのが「小林の14球」だった。95年10月25日の第4戦。10回からマウンドに上がり回をまたいだ1―1の11回1死一、二塁で4番オマリーと対峙(たいじ)。絶体絶命の場面で、マスクをかぶる中嶋は真っ向勝負を選択。7球目に右翼ポール際へ大飛球を打たれるまで直球主体、全て内角要求に応え続け12分の名勝負で、空振り三振に斬った。

 「初球と13球目がスライダーで、あとは直球。一度も首は振らなかった。今もそうですが、(中嶋)監督は、ただ強気なのではなくて、データなど考え抜いた上での強気ですからね」

 現役時代から公私で親交が深く、食事に出れば、焼き肉でもすしでも何でも全額ごちそうしてくれたのが中嶋だった。1、2軍の監督となった今でも意思疎通はスムーズだった。休養目的で抹消した救援陣を慎重に管理し、指揮官と密に連絡を取り合って戦力の循環に成功。「全部、監督の力です」と事もなげに語る口ぶりから信頼関係がにじみ出ていた。

 小林の目には故仰木彬さんの姿と重なって映る。「小林の14球」の前夜だった第3戦、小林は1死も奪えずに屈辱の降板を喫した。それでも恩師はすぐに再挑戦の機会を与えてくれた。「意気に感じました。中嶋監督の起用は、仰木さんに似ていると思う。失敗しても使う。今の若い子も絶対に意気に感じている」。愛飲していたブランデーから麦焼酎「いいちこ」の炭酸割りへ嗜好(しこう)は変わっても、中嶋監督の根っこは変わらない。 (敬称略)

 ▽95年の日本シリーズ ヤクルトと対戦。「野村ID野球VS仰木マジック」として注目を集めたが、第1、2戦は本拠・グリーンスタジアム神戸で連敗。第3戦は延長10回の末サヨナラ負けを喫した。後がない第4戦は延長12回の熱戦に競り勝って一矢報いたが、第5戦は1―3で敗れ、イチロー封じに成功したヤクルトが2年ぶり日本一。神戸に戻ることはかなわなかった。

 ◇小林 宏(こばやし・ひろし)1970年(昭45)11月30日生まれ、広島県出身の51歳。92年ドラフト1位で広経大からオリックス入団。95年、ヤクルトとの日本シリーズ第4戦で見せた「小林VSオマリーの14球」は名勝負として知られる。99、00年には開幕投手を務めた。05年の分配ドラフトで楽天に移籍し、同年限りで引退。通算成績は245試合53勝47敗19セーブ、防御率4.42。09~14年オリックス投手コーチ。15年社会人のシティライト岡山コーチを経て、16年から再びオリックスコーチ。21年から2軍監督。右投げ右打ち。

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