ヤクルト・五十嵐が引退会見 サイドスローにも挑み最後まで現役の道模索も…結果残せず決断

[ 2020年10月16日 05:30 ]

会見を行う五十嵐(球団提供)
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 ヤクルトの五十嵐亮太投手(41)が15日、都内の球団事務所で引退会見に臨んだ。日米通算905試合登板はその全てがリリーフ。「打たれたほうがニュースになりやすい。抑え続けることが当たり前のように思われている。そんなところが中継ぎの魅力」と23年間、全うしてきた働き場に思いをはせた。

 古巣に復帰して2年目の今季。「結果が出なかったら引退」と決めていた。開幕直前に上半身のコンディション不良で離脱。状態は上向かず、8月に入って引退の2文字が現実的なものになった。家族に感謝の思いとともに伝えると「お疲れさまでした」と言われ、「自然と涙が出てきました」と思い出すように目を赤く腫らした。

 ただ、現役を続けることを最後まで模索し、サイドスローにも挑戦していた。「格好とかはどうでも良かった。抑えるためだったらどんな方法でも」。今月上旬の楽天との2軍戦では試投もした。入団以来、スピードにこだわり、04年に当時の国内最速タイの158キロを計測した剛腕が、スタイルを変えてまで可能性を探った。

 同い年で切磋琢磨(せっさたくま)してきた石川には電話で報告し「200勝を見せてもらいたい」と期待の言葉もかけた。その石川とは戸田の室内練習場でキャッチボールをした。若手時代は日常だったが「思い出して泣きそうになっちゃった」と明かした。

 「お兄ちゃんみたい」と表現した石井投手コーチとのコンビで「ロケットボーイズ」と称された。引退試合が行われる予定だが「バチバチに抑えたら、引退を撤回しますよ」と笑った。906試合目のマウンドも、救援投手として上がる。(川手 達矢)

 ◆五十嵐 亮太(いがらし・りょうた)1979年(昭54)5月28日生まれ、千葉県出身の41歳。敬愛学園から97年ドラフト2位でヤクルト入団。04年に37セーブを挙げ、最優秀救援投手に輝いた。09年オフにFAでメッツに移籍し、12年はパイレーツ―ブルージェイズ―ヤンキースに所属。13年にソフトバンクで日本球界に戻り、昨季から古巣のヤクルトに復帰した。1メートル78、95キロ。右投げ右打ち。

 ▼ヤクルト・石川 「亮太に追いつけ、追い越せ」という気持ちでやってきた。球場を一変させるような剛速球が僕の中のイメージ。(残り28勝の通算200勝は)何とか目指したいという思いが一層強くなります。

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