【一瞬の夏】中京大中京・杉浦 憧れの祖父と同じ舞台に感謝と感動

[ 2020年8月13日 05:30 ]

2020年甲子園高校野球交流試合   中京大中京4―3智弁学園 ( 2020年8月12日    甲子園 )

<中京大中京・智弁学園>打席に向かう中京大中京・杉浦(撮影・北條 貴史)
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 おじいちゃんの孫でよかった――。甲子園の土を踏んで、心の底からそう思えた。中京大中京の背番号14、杉浦文哉(3年)は延長10回サヨナラ勝ちに、最高の笑顔でベンチを飛び出した。

 「入学したころはプレッシャーが凄くて…。だけど、今となってみれば、甲子園で野球ができたのもおじいちゃんのおかげ。感謝しています」

 杉浦の祖父・藤文さん(故人)は、59年センバツで中京商(中京大中京の前身)の「1番・二塁手」で優勝。66年には母校を率いて春夏連覇を達成した名将だ。その祖父に憧れて中京大中京へ。でも、1年時はBチームの試合にも出られないのに「あの杉浦監督の孫」という重荷がついて回った。「そのころは周りに置いていかれてて、甲子園でスタメンなんて考えられなかった」

 転機は1年の冬。試合に出たい一心で、毎朝5時起きで自主練習を始めた。その努力が認められて昨秋、打力を買われてベンチ入り。代打で活躍し、チームは神宮大会を無敗で制した。コロナ禍でセンバツが中止になっても、自粛期間中は1年下の弟・泰文と名古屋市内の室内練習場を借りて練習を続けてきた。

 迎えた甲子園。本職の二塁ではなく「7番・右翼」で先発出場。打力を生かすためだ。「ずっと目標だった場所。球場に入ったときから鳥肌が立っていた」。試合は3打数無安打で途中交代だったが、祖父と同じ舞台に立って胸を熱くした。

 きょう13日は99年に他界した祖父の命日。将来は高校野球の指導者を目指すという杉浦は、名古屋市内にあるお墓にこう報告する。「おじいちゃん、中京に入って、同じ甲子園で試合したよ。凄く楽しかった」と。(秋村 誠人)

 ◆杉浦 文哉(すぎうら・ふみや)2002年(平14)5月9日生まれ、愛知県名古屋市出身の18歳。小2から少年野球チーム「森孝イースト」で野球を始め、3番・投手。志段味中でも投手で4番だった。中京大中京では二塁手として2年秋の愛知県大会からベンチ入り。中京大中京2年生の弟・泰文も二塁手。1メートル70、74キロ。右投げ左打ち。

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